稲作が全ての中心にあったこの国では、

年の始めに稲の豊作を願う行事が行われておりました。

農家の人たちが唱え言葉を述べながら うたい、数々の

所作で農耕の真似をするのです。

氏神様や田の神様に一年間の働きぶりを見ていただき、

自分達も農耕の働く決意を確かめあうために営々と千年

もの長き刻を刻み続けた行事が今でもこの変貌し続ける

東京に残されているとしたら、まさに奇跡ではありませんか。

この行事を「田遊び」と呼んで、毎年二月十一日、東京は板橋の

徳丸北野神社で行っているのです。

昨年の二月十一日、この眼でしっかりと見届けたいと北野神社を

お訪ねいたしました。

いつもの通り下調べなしの訪問に、うたいの言葉も聞き取れず、

所作の意味もおぼろにしか理解できぬまま、途中で、あまりの寒さ

(なにしろ仕事の帰りでコートもなし)に挫折してしまい、後ろ髪

引かれながら帰宅したのでございます。

一年待って、今年こそは最後まで見届けたいと、

今度は完全防寒着にて眼をこらして今か今かと待ちわびる

のであります。

どうやら神事としての行事は、拝殿に氏子代表がそれぞれ参集し、

御祓いを受けたのち、宮司による祝詞奏上が続きます。

この祝詞を一字一句聞き逃すまいと緊張して聞いておりましたが、

意味不明の箇所が多く、この「田遊び」の成り立ちまでは理解不能で

ありました。

神事としての儀式が終わると、宮司様は退席し、これから始まる

「田遊び」の行事は氏子代表の限られた人々によって演じられる

ようです。

「田遊び」の遊びとはどうやら神前で、神の力をいただくために行う

演技のことのようです。

「よう よなんぞうどの」

大稲本の掛け声で、いよいよ始まりました。

舞台は「もがり」と呼ばれ、ぐるりを神聖な注連縄で囲み、どうやら

神様も一緒におられる気がいたしますね。

もがりの中心には宮太鼓が置かれ、この太鼓は田圃の意味を持つ

小宇宙のようです。

時には太鼓本来の楽器の役目を持ち、また数々の所作の中では

太鼓が田圃にはや代わりするのです。

 町歩調べ、田打ち、代かき(牛の面が登場する)

 種舞き(十二箇所の種蒔きを行う)

 鳥追い(ささらをならし田を荒らす鳥を追い払う)

 田廻り、春田うない(田を掘り起こす)

 田かき、田ならし(田に肥料を入れる)

 田植え(早乙女役の小児を太鼓の上に乗せて稲の成長を願う)

ここまでは、昨年確認しておりました、

休憩の間、それぞれの氏子さんにお神酒が振舞われ、

いよいよ、まだ見ぬ「呼び込み」が始まります。

宮司宅の庭先からそれぞれの役をもつ者が登場してきます。

参道を火で清める所作でしょうか、藁の松明に火が点けられると、

お櫃を両手にもった「ヒルマモチ」と籠になかなか意味深な

人形「ヨネボウ」を入れた者が踊りながらもがりへと向かう。

どうやら農作業の合間の休憩を表しているのでしょうか。

次に仮面をつけて現れたのは「太郎次」と「安女(やすめ)」

どうやら夫婦らしく、安女は妊婦姿、お互いに抱き合うことで

稲の穂ばらみを刺激する意味があるらしいのですが、周りを

囲む女性衆からはやんやの歓声を浴びておりましたね、

少しでも少子化に役立ってくれたらと思わず拍手喝采でしたね。

続いて登場するは獅子、害虫や厄病を祓いながらもがりへと

進んでいく。

続いて登場するのは馬(駒)らしい

竹を楕円にしてそれが胴体らしく、紺と茶に染めた麻布が

いい味わいを出していますね。

ところがこの馬、かなりの暴れ馬らしく、馬子の言うことを聞かない

素振りが笑いをさそいます。

さらに獅子舞が踊りだし、シンガリは両手に破魔矢を持った氏子さん、

大トリを取る気構えがものすごくてね、

腰を落として、大地を踏みしめながら奇声を発するのです、

「ヤーッ ヤーヤー!」

確かに破魔矢ですから「ヤーッ ヤーヤー!」に間違いありませんが

その迫力に集まった観衆からはヤンヤの歓声と拍手が響き渡るので

ありました。

もがりに集まったすべての氏子達は、最後に白い紙の冠を被った稚児を

太鼓の上に乗せ、さらに高く胴上げをする、どうやら稲が生長していく

様を表しているのでしょう。

太鼓の上に田遊び道具一式を積み上げ豊作を言祝ぎ、最後に手締めで

全ての行事が終了いたしました。

メラメラと燃え盛る炎は全ての穢れを焼き尽くしておりました。

これは2015年2月11日に訪ねた折の感想を綴ったものです。

しかし、この呼び込みを観ていると異界からの呼び込みのように

思われてしまいましてね、もう一度訪ねてみようと今年も

北野神社へ駆けつけたのでございます。