一の酉も無事終わり、師走の飾り付けが始まるまでの

ほんの束の間だけ浅草がのんびりできる日がありましてね、

それでも、あまりのんびりしているとあっという間に

夕暮れが迫ってくるので、相変わらずせっかちなおじさんは

下駄を鳴らしてやってまいりましたのは伝法院でございます。

子供の頃から馴染んだ浅草でも滅多に拝観できないのが

ここ伝法院、

春に続いて今年二度目の御開院、あの枝垂れ桜の葉も

ほど良く色づいている頃と、

閉院30分前に滑り込み、

「間に合ってよかった!!」

小堀遠州というと、茶人であり、作庭家として名を残して

いるのですが、れっきとした備中松山藩第二代藩主

そう大名でもあったのです。

京都を旅していると、小堀遠州作庭の庭園に出会うでしょう、

南禅寺塔頭金地院の茶席、庭園

大徳寺の孤篷庵、

二条城 二の丸庭園、などで小堀遠州の名を聞くのですが

その美意識は後の世まで讃えられ、武人としてより文化人

としての生き様に興味をそそられるのです。

その小堀遠州の作と伝わる庭園が浅草にあるのですよ、

滅多に目にすることの出来ないからこそ、その神秘性が増して

しまうのかもしれない伝法院の庭園で息をひそめて魅入ってしまう、

あの枝垂れ桜の美しさは、小堀遠州の時代には無かったはず、

はらはらと散る桜紅葉に 美 とは何と奥深いものか・・・。

回遊式庭園は歩きを止める度にその景色が変わる楽しさが

あるのですよ、

大池を巡り此処からの景色がいい場所がある、

大書院と借景の五重塔の調和が見事でありますよ。

一歩進んでは、二歩下がり、

その僅かな違いに景色が変わる、

作庭とはそれほどまでに緻密に計算されていたのでしょうか、

「あれ、もうひとつ塔が・・・」

それも世界一の塔が借景に、

まさか400年後にとんでもない塔が聳え立つところまでは

さすがの小堀遠州さんも想いもつかなかったでしょうね。

もしこの景色を見たら、

「これぞ、綺麗侘びですぞ」

と言ったかどうか、

こういう楽しみ方があったのかと、腕組をしながら

東の空を眺め尽くすのでございますよ。

さて二十一世紀の借景は、

あの世界一の塔にイルミネーションが点り、

大書院の真上で瞬くのでありますよ、

日本美は滅びるのか、それとも新たな美麗寂びと感服するのか

時代がもたらす新たな美意識をどう受止めるのか

散歩の途中で思案、思案・・・。

(浅草 伝法院にて)