梅雨の真っ盛り(そんな言い方あったかしら)といったって

一日中雨が降ってるわけじゃなし、

「おっ!雨が上がってるぞ」

と気がつけば間髪入れれずに下駄突っかけて観音様へ、

なにしろ浅草の雷様は気まぐれだからいつ暴れだすか

わかりゃしませんからね、

なに、お宅は仕事でそんなに簡単に散歩なんかできるか

って・・・

いいんですよ、お宅みたいな真面目な方がしっかりして

いなさるからこの国は安心して前へ進んでるんですからね。

アタシ等みたいな暇人ばかりになったら世の中真っ暗闇じゃ

ござんせんか、

と謙ったところで、本日は観音様の御縁日、

足取りも軽く観音様に手を合わせましょう。

早いもんで、今年も半分が過ぎちまいますよ、それでも病気もせずに

歩き廻れるのは観音様のお陰でございます。

浅草はね、古いモノと新しいモノが喧嘩せずに仲良くしている珍しい町

なんでございますよ。

日本人というのは、みんながいい というとすかさず空気を読んで

同じ方向へ行きたがるところがおありになりますでしょ、

古いモノの中にも、これはいい と感じるものがあっても、

みんなが新しいモノがいいに決まってるてぇ空気が滲み出すと

古いモノを捨て始めるのはどうですかね。

古いモノの中にもキラリと輝く宝みたいなものがあって

そういうモノから何が大切かを学ぶところから新しいモノが

作られるという、ほら、なんでしたっけ

うーん、近頃頭じゃ判ってるのに言葉が出ませんで・・・、

そう、「温故知新」て言うじゃないですかね、

近頃じゃ、日本人より外国の方々のほうが故きを知ろうという

意識が強いみたいで、この浅草に群れをなして訪れてくださる

ようで、あの身体に効くというお線香の煙まで盛大な勢いを

見せておりますよ。

断っておきますが、古いモノは新しいモノと比較するために

残されているのではありませんよ、

こいつは大事にしなければと思う人が大勢いるから残って

いるので、その場所が浅草というところにアタシらは

意気に感じているのでしてね。

アタシ等がまだガキの頃はね、あの松屋デパートは憧れの

場所で、おもちゃ売り場なんぞは毎日のように見つめておりました

っけ、当時、中華ソバ一杯が¥40くらいの頃、親父がブリキのキャデラックを

買ってくれたんですよ、¥1,500もしたんですよ、60年以上も前のことですが

今でも鮮明に覚えておりますよ、当然のようにアタシの一番の宝物で

大人になっても大事にしておりましたよ。

値段が高いから大切にしてたんじゃありませんよ、どこにもないような

素晴らしいできばえの電池で動くキャデラック、それは当時は最先端の新しい

技術によって作られていたんです、

それじゃ新しいモノのほうがいいじゃないかと思われますでしょ。

その新しかったモノは時代とともに古くなっていくのです、

古くなったモノの中でまだ輝き続けている何かを感じ取る感性を

大切にしていたいということなんですよ。

60年以上の月日が過ぎれば、洟垂れ小僧もいっぱしの爺ですよ、

その爺になるまでにあるとあらゆる体験を通して身につけたものは

ところどころで輝きを放つのですよ、

ほら、なんでしたっけ、また言葉が出てこないな・・・

そうだ「亀の甲より年の功」、

そういう年寄りになっていたいもんだ!