『岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。

寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような

水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、

上野の山をぶらつく。それから松源や雁鍋のある広小路、

狭い賑やかな仲町を通って、湯島天神の社内に這入って、

 陰気な臭橘寺の角を曲がって帰る。しかし仲町を右へ折れて、

 無縁坂から帰ることもある。・・・・』
               森鴎外著 『雁』より

あの小説の中で岡田が日々歩いたという無縁坂を下ってくると、

長いレンガ塀の奥で黄色く色づいた銀杏が見えた。

岡田はこの塀の中には入ることはできなかったが、時代がくだり

今ならその広大な岩崎家の庭園に入ることができるのです。

曇り空の下でありながら、自らが光の元のように輝きながら

秋の残り香のようにしっとりとした彩を見せていた。

人影の無い庭の奥へ続く小道はすべて落ち葉に覆われている、

どんなに足音を忍ばせても、

「カサ コソ」と思わず後ろを振り向いてしまうほどの音を立てる

その小道で何度も立ち止まってしまう。

いろは紅葉の紅い絨毯を踏みしめる音を、あの岡田はきっと知らずに

お玉と出逢っていたんだろう、もし、この屋敷の中のこの世離れした

景観を見つけていたら別の展開があったかもしれないな などと

想いを巡らしてみる。

考え事をしなが歩いているうちに何時の間にか庭の絨毯は紅から黄に

変わっていた。

神社の境内であれば、毎朝の掃除でかたずけられてしまう黄葉が

ここではまるでそのままの方が美しいとばかりに敷き詰められたまま

で残されている。

何時もなら此処から眺める洋館の美しい姿がいっぺんに明治の時代へ

引き込んでくれるはずなのに、その洋館はすべてすっぽりと隠されて

しまい、その姿が消えてしまっていた。

「すいませんね、外壁の塗装工事が始まりまして、

 でも内部は公開していますからどうぞ」

係りの丁寧な応対に錦の庭から消えた洋館へ足を踏み込む。

全ての窓という窓をふさがれた洋館内部はまるで闇の中に

浮かび上がった居空間、

バカラのグラスが鈍い光の中に浮かびあがり、明治の壁が裸電球に

照らし出される。

そこら中に現れた影の中からこちらを見つめているのは誰・・・

広い洋館の廊下に独り佇んでいると、明らかにこの洋館自身が

息をしているように感じてくるのです。

「オマエ生キテイルノカ・・・」

「アア、ダレモイナクナルヨルニナルト ソットコキュウスルノサ」

「マダヨルニハハヤイジャナイカ」

「クラクナレバヨルトオナジサ」

慌てて庭に飛び出すと、やっぱり外は曇り空だが夜には間がある

明るさだった。

そっと振り返ると、ひとつだけ見えていた窓の中に人影が・・・

いや きっと 気のせいだろう

玄関先の大銀杏の梢から風も無いのにはらはらと黄葉が舞い落ちる

夕暮れです。