安房小港生まれの日蓮が鎌倉に入ったのは建長5年、

新しい仏教の布教のためであった。

その当時のこの国は天変地変が相次ぎ、地震・火事・旱魃に

庶民大衆はまるで餓鬼地獄の中に苦しんでいたのです。

そんな生きる望みも絶たれた人々の苦しみを何としても

救う方法はないかとこの松葉ケ谷に掘立小屋のような

小庵に雨露をしのぎながら、小町の辻、米町の辻などに

立って説法布教活動を続けていたのです。

その布教の集大成としてこの小庵で書き上げたのが

『立正安国論』なのです。

北条時頼に献上された『立正安国論』は日蓮の心情とは

全く異なる反感を呼び、危険思想の持ち主として

佐渡け島に流され、ここ松葉ケ谷の草庵は焼き討ちに

あってしまったという。

鎌倉松葉ケ谷は新緑の中にあった、

今も庶民の町である大町を抜け、

わずか五段ほどの磨り減った石の階段を登ると

其処は安国論寺の山門、

昨日訪ねた中山法華経寺で日蓮を思っていたその続きの

ような気分であります。

山門の前には今は緑の葉に覆われた公孫樹の木が

静かに迎えてくれている、

「ああ、秋の黄葉はどんなに美しいだろうか」

としばし足を停める。

祖師堂へ続く小路は滴る緑の中で静けさだけが

身に染みてくる、

この小路を歩くのはどんな人が似合うのだろう、

いつだったか読んだ小説に、胸を病んだ彼女のために

この小路を祖師堂に向かって歩く主人公が

立ち止まりふと見上げるシーンが思い出されるのです。

その儚い命の女性はその後どうなったか記憶になかったが

こんな美しい小路なら私も歩いてみたいと、思わずその場面の

中に入り込んでしまったようです。

どれほど其処に、ぼんやりと佇んでいたのでしょうか

「あの、よろしいかね」

男の声に我に返ると、この美しくも切ないような境内を

守る庭師さんの姿に慌てて路を譲るのでした。

ふふ、現実はそうロマンチックにはいかないものですよね。

我に返ったおじさんの旅人は、おごそかに祖師堂で手を合わせる、

「今の日本も荒れ果ててしまいました、どうぞ御啓示を」

誰もいないはずの境内に華やいだ笑い声、

振り向くと若いカップルの姿、

まさか、胸を患ってはいないだろうと

つい小説の主人公をダブらせてしまいました。

「静かでいいじゃん!」

「穴場かもしんないよ」

ああ、現代っ子だ、そうだよ、元気なのが一番さ、

私はその二人に黙礼すると、またあの美しい小路を戻るので

ありました。

日蓮さん、当たり前の平和が一番だったのですよね。