総国一之宮 香取神宮には数々の神事が斉行されて

おりますが、中でもまことに楽しい祭事が「大響祭」なのです、

旧暦十月は神無月、東国の神々は出雲へ出かけてしまわれるので

神様が居なくなってしまう、その留守をお守りしているのが

香取神宮の祭神 フツヌシノミコト

神無月の晦日、出雲から戻られた神々は、香取神宮へ報告に

やってくるのだそうで、

その神々をお迎えして オ・モ・テ・ナ・シ の大饗宴が開かれるのです。

果たしてどのような大饗宴なのか・・・

その大響祭の趣旨をお聞きしただけで、厳かな神事に親しみが湧いてしまいましてね、

神様といえども、人間社会と同じような大饗宴を行うのか 夕暮れを待って香取の杜へ

と向かうのでございます。

もう何度も御参りしております香取神宮、たいていはお祭りの際ですので、

提灯や露店の灯りで歩くに不自由はしまいのですが、シーンと静まり返った参道は

まさに真の闇、鼻をつままれても判らないほど闇の中を恐る恐る本殿へ、

境内へたどり着くと、そこには結界の注連縄が張られ、神事であることがわかります。

あまり知られていない神事らしく、3,4名のカメラマンと見物人がちらほら、

今回は一昨年に続き二回目なので、段取りは判っております、

ひとつひとつの神官の動き、舞いにどのような意味が込められて

いるのか体中で感じ取ってみたいと願っております。

あたりが闇に包まれるなか、篝火が焚かれ、雅楽の音が流れる中

神官さん達が動きはじめましてね、

大きな籠のようなものを抱えて本殿へ運び込み始めたようです。

間髪いれずに「これは何が入っているんですか?」

どうやら、菰(まこも)で作られた器で、お米を入れてあるとのこと、

昔は東国の神々が三十三方来られるので三十三の巻行器(まきほかい)を

用意されたそうですが、現在は十六の まきほかい が用意されるとのこと。

この神事は「三十三行器之神事」と呼ばれているそうです。

さて、いよいよ奥の社務所から木靴の音が響いてまいります。

神主一行の登場に、緊張が走ります。

客人が招き入れられ各人が席に着くと、神事が始まりました。

参加者全員の御祓いの後、いよいよ神饌(みけ)が運ばれてきます。

最初は大神饌(おおみけ)二台、

すべて神官さんたちの手から手へと渡され、本殿へ設えていくのです。

その運ばれていく神饌とは

御箸 二台、御盃 五枚 一台、御神酒 二樽一台、

鴨羽盛 二台 これは今まさに飛び立とうとする鴨の姿をそのまま現しているのです。

鳥羽盛 四台 鮭の身を薄切りにして盛り上げたもの、

餅 一台、乾魚二十五尾 五台 これはくさやの干物らしい、

鮒 一台、鱠(なます) 一台、海菜 一台、柚子十五個 一台、

そして最後に塩水 一台そして大幣(ぬさ)が運ばれると、

神主の祝詞が奏上される。

明日から師走、足元から寒さが深々と伝わってくる、

その夜の冷たさの中で大和舞が始まった、

東国の地では東遊(あずまあそび)が舞われるものと想っておりましたら

大和地方の風俗歌舞を起源とする大和舞に不思議を感じながら

魅入ってしまいました。

白地の裂地の束帯に身を包んだ四人の童子が雅楽に合わせて静かに舞う。

謡いが入っていたが内容はよく聞き取れませんでした、

大和舞の奉納が終わると、神主が本殿を退出し全ての神事が終わった。

寒さに震えながら、日本文化に酔いしれていると今宵も拝殿への登壇が

許されました。

数々の神饌を目の前にすると、神と人との関係が浮かび上がってまいります、

神々も人と同じモノを召されるものと信じていた古人たちは、その神の召し上がった

神饌に神の力が宿ると信じられていたはずです。

この神饌はそれぞれ調理されて集まった氏子衆に振舞われるのです、

これは直会そのものですね。

祭りの真意は実に直会にあると改めて感じることのできた宵でした。

わずか一時間ほどで神事は終わりました、

帰り道の参道の暗さは、全くの真の闇、

神との直会が夜間に行われる意味をもう一度確かめるには

この闇こそが意味のあることと知るのでありました。

平成27年11月30日 香取神宮にて