横揺れの激しい一両だけの列車がブレーキを軋ませながら

最後の駅に到着する。

数人の乗客の最後に列車から降りた旅人は私だけであった。

磯の香りが微かに鼻をつく、

小さな終着駅はこの町の玄関なのかもしれない、

駅員さんが笑顔で迎えてくれたことでこの町の第一印象が

心温まるものに変わっていた。

駅前といっても店があるわけではなく

広場の先は迷路のような路地に続いていた。

ひとつ先の辻を曲がると道はかなり急な下り坂となり、

坂道の彼方に夕日に染まる海が広がっていた。

古い家並みが急斜面にしがみつくように続いている

この漁村を訪ねたのは十年振りでした。

西向きに海を見る家並みはまるで十年前私がこの町を去る時に

消えてしまったまま今急に現れた蜃気楼のように思われた。

私は噛み締めるように突堤の先まで歩いてみた。

秋の海は意外と波が高く、突堤を乗り越えてくる程であった。

港に停泊している漁船が夕日に染まり始めている。

振り返ると今通り過ぎてきた家並みが夕日の中に浮き上がっていた。

たった一人の旅人は光の饗宴を脇目も振らずに見つめるだけであった。

陽が落ちる、夕闇がその家並みを包み始め、やがてその姿を消してしまった

そう、それは束の間の蜃気楼、再びこの漁村を訪れるまで消えてしまう

『海市』に違いない。

旅日記 1998年10月8日 外川漁港にて

三度目の旅もあの一両の車両に揺られながらやってきました、

八年分の潮風は列車の姿をもヤレた姿に変えておりましたね。

「お互いに随分歳をとったね」

と呟きながら列車を降りると、

出迎えてくれたのは元気な子供たちでした。

どうやら、駅が毎日の遊び場になっているらしい。

「おじちゃん カメラマンさんなの」

取り出したカメラを見て、

年長の といっても五歳くらいだろうか、

男の子が仲間に

「おい、もっと下がれよ」

どうやらこの列車を目当てに多くのカメラマンが

訪ねてくるらしい。

「遊んでいていいんだよ、

 おじさんはね人が居る写真を撮るカメラマンだからね」

子供たちは、発車の合図があるまで、駅と列車の間を行ったり来たり、

中の一人は運転手になったような顔で盛んに身振り手振りで合図を送っている。

毎日列車を見ながらきっと夢を見ているんだね。

列車がゆっくりと駅を出て行くと、子供たちも駅から外へ走り去っていった。

そして四度目も海に向かう坂道をのんびりと歩いていった。

見上げる空には確かな秋の気配が漂っている。

「もうすぐ祭りだよ」

船の縁で網を修理していた漁師が呟く。

「随分家が新しくなりましたね」

「爺ちゃん婆ちゃんが亡くなってな、家も新しくなったんだよ」

夕日ではなかったけれど、夕暮れの家並みは消えることはなかった。

あの日見た『海市』はもう現れないかもしれないな・・・

銚子 外川漁港にて

 海市(かいし)とは蜃気楼であらわれた町の姿をいう。