祭り狂いにとって10月は秋祭りのピークなんです、

ところが祭りの数は枚挙に暇がないほど沢山ありましてね、

あっちの祭りとこっちの祭りがかち合って、

「さてとどちらにまいろうか・・・」

と嬉しいような残念なような複雑な気分なんでありますよ。

ところが川越祭りはしばしば佐原の大祭と重なってしまうので、

今までもなかなか見にいけないのであります。

上手い具合に佐原の大祭が一週間早く行われたため

今年はゆっくりと川越祭りに行かれると思っておりましたら、

佐倉の麻賀多神社祭礼と行方大麻神社祭礼とかち合って

しまいましてね、こうなるとなお更川越まつりが愛しいく

なるのでしてね、

今年の秋は雨と台風にたたられ、青空を見ることが

できずにおりましたが、どうですこの上天気、

抜けるような青空に迷うことなく川越へ馳せ参じたので

ございます。

祭りの街へ車で行くのはご法度ですよ、駐車場はないし、

大渋滞に巻き込まれるのが関の山、祭り行脚を続けていると

いろいろ知恵が付くものでしてね、

ひとつ手前の駅前駐車場へ車を預けると、電車に乗り込み川越の町へ、

グッドタイミングとはまさにこのこと、

それにしても川越祭りの観衆の多さは別格でございますな、

いつもは夕暮れが迫るころにやってくるのですが、秋晴れの中で

観る絢爛豪華な山車の巡行は目を見張ります。

今は江戸のまつりは神輿中心になりましたが、かつては附け祭りとして

山車が曳き廻されていたのですよ、江戸から東京に変わった町は

名前だけではなく、経済発展に集中することで町並みは激変するとともに、

まつりのやり方も変化し続けてしまい、今は東京で山車を動かすことは

不可能になってしまいました。

かつて江戸と水運で繋がっていた川越、佐原、栃木、佐倉、行方等には

江戸型の山車を大切に残し続けているまつりがあるのです、

それも三百年もの長きにわたって守り続けている心意気を感じないわけには

いきませんでしょ。

腹ごしらえを馴染みの店で済ませると、提灯に灯の入った山車が

四辻に集まりはじめるとたところでしてね、

山車の曳き回しを告げる先触れの提灯が揺れると可愛い手児舞いを

先頭に曳き綱を握り締めた祭り衆が声を揃へ、ギシギシと山車が

動き始める、

首からさげた宰領の一の拍子木が響くと、山車が止まり、上の舞台が廻り、

お囃子が唸りを上げる、神楽が舞い、手持ちの提灯が乱舞する。

宰領の二の拍子木が響くと、乱舞はピタリと止み、ゆっくりと山車が

動き出す。

「見事なものですね」

「曳っかわせがが始まりますよ」

葛西囃子の流れを汲むという川越まつり囃子が唸りをあげると、

曳き方衆の提灯が乱舞する、狂気と紙一重の祭りの醍醐味を

十分に味わうのでございます。

ところが川越祭りは見物人の多さでは関東の一、ニを争う祭りでして、

歩くなどとんでもない混雑、

あっちへ押され、こっちへ戻されながらまるで波に揺れる木の葉の

ようでございますよ。

足の踏み場もない街中へ繰り出せば、

町内の居囃子に合わせておかめが舞い、ひょっとこが踊る、

肩車された子供達が福を貰いに集まる姿いとおかし。

いつ果てるともなく祭りは蔵の街を覆いつくしていく。

拍子木が響く度に歓声があがる、

嗚呼、祭りとは生きている証なんですね、

街の誇りと、人々の心がひとつになった瞬間を見届けると

早めに街を後にいたします。

余所者はには余所者の見識があるんですよ、

地元衆の一年に一度の祭りを味わい尽くしていただくためには

余所者は邪魔者になってはならないのだと呟きながらの

祭り行脚の途中のことでございます。

(2016年10月川越氷川神社例大祭にて)