『五日市町』、今は合併によって町名は消えてしまいましたが、

その町の秋の祭礼は今も盛大に行われていることを教えられたのは

府中大國魂神社 秋季祭で出会った老人の話の中からでした、

「此処のお祭りも曜日じゃなくて祭日は27,28の日を

変えずにやってるけど、五日市も28.29.30に同じように

決められた祭日をしっかり守ってやってるんだよ」

そうだ、確か以前阿伎留神社を訪ねた時にそう教えられたことを

思い出したのです。

東京の東のハズレで毎日を過ごしている者には、五日市の町は

どこか遠いところへ旅をする気にさせるのです、

同じ東京なのに全く東京を感じさせない町、それが旧五日市町。

何だかこの祭りを見逃したら、大切にしていたモノが手の中から

消えてしまいそうな気持ちなったのはどうしてだかは判りませんが、

気がついたらそのはるか山の麓の町を目指して電車に飛び乗って

いたのです。

電車を三回も乗り換えて二時間かかってたどり着いたのは武蔵五日市駅、

いつも遠くから眺めている奥多摩の山並みが目の前でした、

車ではもう何十回も通り抜けている町なのに、こうして

電車を乗り継いでやってきてみると空気も、匂いも、景色も

何と新鮮に感じるものなのでしょうか。

駅前を西の山へ向かって桧原街道が延びている、

九月の初めに東あきるの二宮神社の祭礼に伺った際は、

汗を拭き拭き神社の階段を登っておりましたのに、季節は

すでに秋本番、上着を着て駅から祭り場へと歩き出すと

集く虫の音が盛大に迎えてくれましたよ。

(仲町お神酒所)

花万灯が飾られた桧原街道をのんびり歩いていくと、各町のお神酒所では

山車のお囃子が祭りの最終日の神輿の宮入りを盛り上げていますよ。

丁度、お旅所からいよいよ神輿が曳きだされる場に間に合ったようです、

鎮座されている神輿は珍しい六角屋根を持つ独特のもので

今宵はこのお旅所を出輿して氏子町内を練り歩き、阿伎留神社の宮入り

へと向かうのです。

(各町内の山車から祭り囃子が響きだす)

お旅所ではずらりと各町内の神輿責任者が勢ぞろい、

一斉に歓声があがる、

上町、仲町、榮町、東町、下町の氏子町内の提灯が

神輿の周りを飾っている、

六角屋根を持つ独特の神輿は東京では佃島住吉神社の祭礼で

見たことがありますが、関西では良く見る神輿のようで

阿伎留神社の神輿にもなにか西の文化と融合する歴史が

あるのでしょうか・・・。

いよいよ夜の神輿渡御の始りです、

何処から集まったのか桧原街道は人の波で埋っています、

威勢のいい手締めが響く、いっせいに神輿が上がるかと

待ち構えていると、まずはお旅所から神輿を出すのが大仕事、

相当重いのか中々担ぐところまでは時間がかかります、

やっとみんなの肩に担がれた瞬間、怒号と拍手が響き渡った、

余程重たいのか、右に左に拠れながら神輿が東へ向けて進みだす、

先導は大太鼓、

「ドーン!・ドーン!」と暮れていく山並みに

その音が吸い込まれていく、

氏子町内の高張提灯が高々と掲げられ、

本社神輿がうねり出す、その後ろを町内神輿、子供神輿が

続いていく、見ればみな六角神輿とは驚きました。

(久しぶりの阿伎留神社)

宮入りまではまだまだ時間がかかりそうです、

まずは阿伎留神社を参拝することにして更に歩き続けると、

各町内の山車からは中々歯切れのいい祭り囃子が鳴り響いている。

何処で道を間違えたのか阿伎留神社にたどり着けないのです、

確か五年前に訪ねているはずなのに、祭りになるとずらりと並んだ

露店の数に曲がる道を間違えたらしいのです、

道を尋ねると、その怖そうな顔とは裏腹な優しい受け答えに

この町の人々の人情を知るのです、

(三匹獅子舞の道化役?)

丁寧な道案内で無事神社へ、そうか神様は町へ降りてしまわれたので

境内はガランとして静かなものです、暗闇の奥から笛の音が聞こえてきます、

噂には聞いておりました入野獅子舞の奉納のようです。

獅子は「太夫」「雄獅子」「女獅子」の三匹、

さらに花笠が四人(巫女姿の女性)

篝火の明かりの中で演じられる獅子舞は以前松戸の三匹獅子舞とは

趣の異なる厳粛な神事のように感じました。

最後に千秋楽という演目で終わりましたが、道化役の奇声が闇の中に

響き渡る様は迫力十分でした。

どうやら西多摩地区には多くの獅子舞が伝わっているとのこと、

祭りの中で演じられる獅子舞に興味津々でございます。

祭りは後から後から好奇心を刺激するものでございますな。

神輿の宮入りは夜遅くなりそうですので、そろそろ帰ると

いたしますかね。

多摩地区の祭りは、浅草や神田の町神輿とは異なる文化を

感じさせてもらいました。

それでも、帰り際地元の方のお話の中に、

「新しい道が出来、新しい家が増えてきて、昔の縁(よすが)が

 薄くなってきましたね」と。

比較することではありませんが、やはりここも東京でした

街が変貌することでこの素晴らしい祭り文化が消えてしまう

ことがないようにと願っていた祭り旅の途中でございます。