この国が大きな変革を迎えたのは律令国家から、

武家の支配が始まった鎌倉時代と明治維新の二度、

そのどちらの時代もそのきっかけを作った地こそ

伊豆半島なのです。

特に鎌倉幕府を打ち立てた源 頼朝は永い潜伏期間を

伊豆の遠流地で過ごし、その地で北條政子に出会ったことで

歴史が大きく動き出すのです。

歴史は人間が動くことに寄って作り出されていくのであれば、

歴史好きにとっては伊豆の地はどうしても訪ねたい地なのです。

源 頼朝、範頼、義経は共に同じ父義朝を持つ兄弟でありますが、

しかし、兄弟と云っても、現代の家族の中の兄弟とは少し異なる

関係なのです。

武士による武士のための政治を目指した頼朝は、平家打倒のために

兄弟の力を結集してついに鎌倉に武士の都を打ち立てるのです。

権力者に登りつめた頼朝は、手に入れた権力をどう永く持ち続ける

かに腐心し続けるのは、多くの歴史の中に現れては消えた権力者と

同じ道を進むのです。

権力者の頂点に立つものは必ず孤独な存在に自分を造っていかなければ

ならなくなるのです、例え兄弟であっても、自分にとって変われる存在ほど

邪魔な者はないのです。

義経を滅ぼし、ほとんど抵抗を示さなかった範頼も、妙な難癖をつけて

伊豆修禅寺に幽閉し、最後は梶原景時にその命を奪われてしまうのです。

しかし、歴史には伝説が必ず現れるものでしてね、

義経が平泉から逃れて津軽海峡を渡り、蒙古にまで逃げたという伝説が

起こるように、このそれほど名のしれていない範頼にも、その最後が記されて

いないため、修禅寺を抜け出し、武蔵国吉見に逃れたという伝説が残されて

いるのです。

その時、自らが持っていた桜の木の杖を地面に刺してコト切れた、

その時の桜が800年後の今も爛漫と花をつけて咲き続けているのです。

私は毎年の桜旅を続けている中で、その蒲さくらに出会い、

人の伝えたいという想いは、時代を超越して生き続けることを

思い知らされたのです。

伊豆修善寺は紅葉の盛りです、昨夜の大風で小路は

その落ち葉に覆われておりました、

その小路を歩いて目指す範頼の墓所を訪ねました。

多分、観光客ここまで訪れるのは稀なのでしょう、

それでも土地の人々は、悲劇の主人公になった範頼を、今も厚く

祀っていることで、この修善寺の地の風土を強く思わされるのでした。

頼朝が突然亡くなった時、鎌倉は次の将軍を巡って、御家人達の

軋轢が始まるのです、もし、あの義経も範頼も生きていたら、

多分、鎌倉は再び戦乱の中に消え去ったかもしれません、

頼朝亡き後、妻政子は、わが子頼家を同じく此処修禅寺に幽閉し

その命さえも奪ってしまう、三代目将軍を継いだ実朝もやがて

頼家の子公暁によってあの鎌倉八幡で暗殺されてしまう。

権力とは何とおぞましい様相を巻き起こし続けるものなのか・・・

範頼の墓所に隣接して一軒の店がある、

入り口にドラが下がっており、

「御用の方はドラを御たたきください」とある、

大きさの割りに大きな音が響いたのは、

それだけ静寂が濃かったからだろうか、

余韻が消える前に扉が開き店主が案内してくれたのは、

妙に懐かしい濡れ縁のある部屋でした。

折から差し込む晩秋の陽は、小さな庭の色付いた木々の葉を

浮き上がらせている。

所望したのは、『くずきり』

出来上がるまでの待つ時間のなんと豊なことだろうか、

永井路子さんの書かれた小説を読みふける、

北條政子は夫も三人のわが子も全て自分の手で見送るという

凄まじい人生を送っている、それは尼将軍となった権力者の

末路なのかもしれないと、想いを深くするには

ここ冬の修禅寺は一番相応しい地であるかもしれない。

帰り際、修禅寺に戻り、もう独りの悲劇の主人公 二代目頼家の為に

そっと手を合わせる。

はらはらと散り行く紅いの楓はなぜか血の色を思わせた旅の途中です。