三浦半島と聞くと直ぐに海が浮かぶのですが、

大型路地野菜の産地として農業も盛んに続けられて

いるのです。

もう半世紀も昔のことになりますが、鎌倉や逗子の海は

芋の子を洗うように人の群れで大混雑、

その頃すでに自動車を乗り回していたぼんぼんの学生だった

遊び仲間は、便利な車を足に、人の少ない海辺を探しながら

三浦半島を流しておりましてね、

何処までも続く緑の畑の中の細道を分け入って見つけたのが長浜という

美しい浜辺、何しろ夏のピークだというのに浜には人影もないのですよ、

「此処に決めよう」

と車からテントを運び出すと、野宿を決め込んだのです。

今なら直ぐに警察に通報されてしまうでしょうが、その浜辺に一週間も

野宿していたのですから、のんびりしていた時代でしたね。

ところが真夏に浜辺に張ったテントの中は陽が出ればサウナ状態、

とても寝てるなんて出来ませんよ、

何しろ身体の中の水分は汗となって流れ出てしまうわけで、

喉が渇くといったらありませんでね、

なにしろ自動販売機なんて何処にもない時代でそれも

畑の先の浜辺ですよ、

その畑を見るとそこはスイカ畑じゃないですか、

朝早くやってきた老農夫からそのスイカを分けてもらって

被りついたあの味は今でも忘れられませんですよ。

身体の中にスイカの汁が沁み込んでいくのが判るほどでしたからね。

そんな半世紀前を思い出しながら、今は冬大根の取り入れに余念の無い

農夫の人に道を尋ねながら、やっとのことで辿り着いたのは、

どうやら長浜の隣の小さな漁港でした。

どうやらシラス漁を生業とする一家が仕事に精を出している。

遠くに微かに山並みが見える、

「あれは伊豆の山々ですかね」

その漁師は手を休めると腰を伸ばし、振り向くと

「ありゃ、伊豆大島だ!今朝はもっとはっきり見えていたんだが

午後になると雲が出るからな、ぼんやりしか見えんのよ」

こんなに近くに大島が見えるとは、あの若かった50年前のぼんくら学生

の時は気づきもしなかったな、

海に突き出した小さな岬は佃嵐崎だと教えられた、

あの岬を越えると長浜へ行けるが道はないという、

「岩場を渡って行けないことはないが、波がきたら終わりさ」

と私の成りと年恰好を瞬時に判断して、大根畑に戻って行くほうがいいと

教えてくれた。

余りに切ない小さな漁港で遠く伊豆大島を見つめていた。

冬の海風にすっかり身体が冷えてしまった、

その漁師一家に礼を言うと、来た道を戻り始めた、

小さな漁港がなお小さく見える坂の上からもう一度振り返ると

一面の大根畑を歩き始めた。

あの漁師に教えられた通り畑道を遠回りして下っていくと

そこが長浜だった。

誰も居ない浜辺が何処までも続いていた、

こんなに静かな浜辺だったのか、

50年前、過ごした夏の日を思い出してみても、

そこにあるのは冷たい冬の海、

「やっぱり昔を偲ぶ旅というのは心が前を向かないのだ」

まして真冬に訪ねて来て、あの夏の日々を思い出そうと

いう動機がどうも悪かったようで、

冬には冬の良さを見つける方が余程精神にはプラスになるに違いない

と思わぬ想い出の旅は50年前にたどり着くことは

出来ませんでしたよ。

長い長い浜辺をのんびりと歩く、

遠く黒崎の鼻が見える、

あのあたりまで歩いてみようか

また新たな旅の記憶がひとつ増えるかもしれないからね、

冬の海はね

どこまでも過去(むかし)へ過去へと

こころを引きずっていくよ

波の音ばかりがこころを後ろ向きにするからね・・・