【養老】とは三省堂 大辞林を引くと

① 老人を大切にすること、老人をいたわること。

② 老後を安らかにおくること。

とある。

はて、自分は年齢的には十分老人の一員であることは

間違いないけれどどうも、認めたくない気持ちがありましてね。

それが、最近、電車に乗ると優先席に座ることに躊躇が

なくなってしまった。

そろそろ人生の第四コーナーを曲がってしまったようだ、

それでも、老後を安らかに過ごそうという気にはどうしてもならない、

いや、そう思いたくないというのが正直な気持ちなんです。

確かに若い頃は山登りに夢中になり、

奥秩父、八ヶ岳、南アルプスなどを

嬉々として歩き廻ったものでしたよ、

しかし、増えたのはお金ではなく、体重ばかり、

もう登りたくても登れないことは自分自身が

よーく判ってしまったのです。

昨年からあることを温めておりましてね、

新年の好天を選んで実行してみようとその日を待っていたんです、

便利なものを排除して、自分の気力と体力だけでできるかどうか・・・

さすがに、新年とはいえ松の明けた平日、そのローカル線の駅で降りたのは、

私と、仕事でやってきた中年の二人だけでした。

今回の旅は、一度車で事前に下調べし、何処に何があるかを

頭に刻み込んでの出発なんです。

目的地は海抜295mの山の頂上、往復13km程を歩いてくる

という計画なんです。

それは、現在の自分に対する挑戦でもあるのです、

皮肉にも選んだ地は上総の「養老」という名の地、

その養老の地を、自分を追い詰めながらひとりで

歩き通すということなんですよ。

駅前の店で腹ごしらえを済ませると、

身軽な足取りで歩き始める、

三年前なら、心臓がついていけずに歩くことなど

自殺行為であったろう、

「どうだ、大丈夫か」

と自分に話しかけながら、少しずつ身体を山の空気に馴染ませていく、

若い頃なら、こんなことを考えずにガムシャラに山に取り付いて

登り始めただろうに、でも、人生長くやってくると、

目的のためにではなくても身体を動かす工夫が身についているのですね。

真冬とはいえ一時間も歩くと額に汗が浮かぶ、

「無理はするな、一人旅だぞ」

と我と我が身にブレーキをかける、

そうだよ、何も急ぐ必要はないんだ、

道端の石の上でしばしの休憩、

下ばかり見つめて歩いていて、まだこんなに紅葉が残っていたことに

気づく、

やがて道は二股の落合へ、昨年はこの道を左にとって、

渓谷を堪能したが、今回は右手の大福山への登り道を選ぶ、

さすがに息が切れる、ゆっくり、ゆっくりと歩を進める、

どうやら、身体の方が馴染んできたことを実感として

判り始めておりました、

こうなると、気分は爽快、つい鼻歌まででるものですよ。

この間、一人の人にも逢わずに、とうとう梅が瀬の休憩所まで

やってきた、

数台の車が止まっている、こちらはわざわざ不便な方法を

選んで遣って来たので、

別段、車で来ている人を羨む気はおきませんよ。

ここから僅かで大福山見晴台、そこから僅か登りきった上に、

本日の目的地、白鳥神社へ、上総の地に残るヤマトタケルの伝説を

残す神へそっと手を合わせる、

まだ山旅はさらに続くのです、

この大福山のすぐ直下に集落があるのです、

久留里城と大多喜城の夫々の城主が

行き来した道の中間にある集落は、その当時の警護に当たった武士達が

そのまま居ついたという歴史があるらしい、

しかし、先はまだ長い、ここからは道は下りになる、

膝が笑い出す度に休憩をとり、ついに上総大久保駅へ無事到着することが

できました。

誰もいない駅のホームのベンチでひとりにやにやしながら電車を待つ、

「散ちゃん、できたじゃないか」

「ああ、まだ大丈夫そうだよ」

ひとり芝居を演じながらホクソエンデいた養老の旅の途中のことでございます。