光陰矢のごとし とはよく言ったもので、

月日の経つのはなんと早いのでしょうか、

昨年の雨のそぼ降る中、急に思い立ってお訪ねしたのが

芝愛宕神社、何しろ一度お参りすると千日分の功徳があると

お聞きして、浅草の四万六千日に慣れ親しんできた身には

もう残り少ない人生、そんなに欲張っても仕方ないしな、

千日といえばそう遠くないじゃないですか、急に寿命まで

身近に感じましてね、

昨年もお参りさせていただき千日分は確保しておりますが、

まさに 光陰矢のごとし であっという間に一年365日を

使い切ってしまいましたでしょ、

そうすると昨年いただいた功徳の残りは665日しか残っていない

わけで、なんだか銀行の預金残高が目減りしていくような気分に

なりましてね、お金なら借金という方法がありますが、

寿命の残りを借金するという方法はこの世にはないわけで、

唯一思いついたのが今年も千日詣りで昨年から消えてしまった

365日分を先に伸ばしていただけないかと願うわけでございますよ。

今年もお参りすればまた貯金が千日になると思うと、

「よーし、あの急階段をこの足で登りきるぞ」

と気構えも新たにいざ愛宕神社へ。

愛宕の神様を江戸にお迎えしたのは徳川家康公の肝いりだと

お聞きすればまずは増上寺にて徳川御一門の冥福をお祈りしてから

愛宕へ向かおうと東京タワーを眺めていると、一天俄かに掻き曇り 

大粒の雨、慌てて近くのビルに緊急避難、こういう時は東京は

有難いですね、どこにでも、ドトールはあるし、デニーズはあるので

助かるわけでガラス張りの大きな窓から雨の止むのを待つこと一時間、

すっかり雨に濡れた舗道を歩き出す頃には、いくらか暑さも凌げるように

なりましてね、

さてと、愛宕神社のあの急な階段にたどり着くと、うっそうと茂る愛宕の杜は

今にも何かが出てきそうな暗闇に、雨に濡れた階段が高みへと続いているわけで、

片手に傘、片手にカメラでこの坂を登るのはあまりに危険すぎると判断して、

ゆっくりと手すりに捕まりながら登り切ったのでございますよ。

なにしろ、神様はすべてをお見通しでございますでしょ、

近道したり、車で登っていったりすると、

「この不精モノが」と

千日分を半分に減らされてしまうかもしれないじゃないですかね。

何しろ、子供の頃から、明治生まれの爺ちゃんや婆ちゃんに、

神様の恐ろしさをイヤというほど叩き込まれて育っておりますので

自分が爺になっても、神様への信心は変わらないものでございますよ、

まさに 三つ子の魂百までも でございますな。

本殿前には、水無月の大祓 のまだ青々として茅輪が設えてありまして、

そういえば半年でもきっと随分わが身は穢れているに違いないと

手を合わせて潜り抜け、本殿にて御参りでございます。

さて、こちらの愛宕様は、ホウズキを求めると、本殿の中まで

入れていただき御祓いを受けることができますので、

早速 ほうずきを所望、

なにしろこちらのほうずきはみんなまだ赤く色ずく前の実ですので

華やかさはございませんが、青々していてなんだか効き目はありそうに

感じますよ。

昨年も買い求めて御祓いをしていただいたので、一年は無事過ごすことが

できましたでしょ、今年、買い求めないと、帰りに階段で滑って大怪我なんて

いうことになったら悔やんでの悔やみきれませんですよ、

御祓いを受けたほうずきを有難く押し頂いて、さて帰り道、

今度は片手にほうずき、片手に傘ですよ、

おっかなびっくり慎重に急階段を降りきったときは思わず神様に

手を合わせたのでございます。

へっへっへ!、これでまた千日分の貯金が出来ましたよ、

ありがたや、アリガタヤ!!