今年の初午祭は地元浅草の吉原神社で狐の舞いやら

沢山の妖怪に囲まれて楽しく過ごすことができましたが

早いものであれから干支ひとまわりして本日は二の午で

ございます。

浅草はかつては田圃が広がる場所で千束田圃なんて言われて

おりましたんですよ。

千束という地名は大変古く浅草天王町から千住の橋際まで

その範囲に含まれていたのです。

浅草寺も武州豊島郡千束の郷金龍山浅草寺と呼ばれていた

のですからね。

かつては、その広い千束に上下二つの稲荷神社が創建されまして

上千束稲荷(西宮稲荷)は浅草寺伝法院の左にあったそうですが、

今は無くなってしまい、下千束稲荷だけが竜泉寺町の氏神様として

崇敬されております。

実はこの千束稲荷神社の初午祭は毎年二の午の日に行われるのです。

初午は二月最初の午の日と決められているのですが、

 古来は立春過ぎて最初の午の日 に行われていたのですから、

新暦だと立春前に初午があったりで、春先の行事にそぐわない

というので、二の午を初午祭にしたらしいですな。

昔は、江戸の初午には境内に地口行燈を飾るのが当たり前

だったんですよ。

地口とは、江戸っ子の大好きな駄洒落のことで、

発音が似た言葉を並べた一種の言葉遊びなんです。

 「田へしたもんだ蛙のしょんべん」だの

 「見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」

なんていう寅さんのセリフ、

 「恐れ入谷の鬼子母神」、「びっくり下谷の広徳寺」なんていう軽口も

地口の一種なんですよ。

さてやってまいりました千束稲荷、今ではほとんど見かけなくなった

地口行燈を氏子さんたちが奉納しているのです。

見物人は少ないですが、みんなで地口行燈をひとつひとつじっくり

読んでいるのですよ。

時々、肩を震わせて笑いをこらえる姿 いとおかし・・・

あたしもじっくり見てまいりますかね。

お稲荷様の初午ですからまずはお狐さまから

「狐の読うり」

狐が瓦版売っていっる図ですな、

こりゃ「狐の嫁入り」のダジャレでしょうな、

昔、瓦版なんて言う前は「読うり」って言ってたらしいですな。

「障子のいなり」

障子を開けてる狐の絵ですな、

こりゃ、ひねりも何もありませんですな、

ずばり「王子のいなり」のごろ合わせ、

今でも王子稲荷は坂東のナンバーワンですからね。

「小狐半じょうとび」

飛んでる狐の下に畳半畳分が書いてありますな。

こりゃ、歌舞伎の「壇ノ浦」から「義経八双飛び」のダジャレでしょ。

義経と小狐のごろ合わせにはちょいと無理がありますかな。

歌舞伎をもじった地口もたくさんありますぞ、

「こものもろのう」

黒烏帽子に弧の直垂姿の高師直の情けない姿が

描いてありますな、

こりゃ、歌舞伎十八番「忠臣蔵」の敵役高師直が殿中で

切りつけられた場面ですな。

歌舞伎の演目まで知っていないと面白さがわからない

というのは、かなり高度な洒落文化でございますよ。

「雀道成寺」

これは見た通り、「娘道成寺」のもじりそのままで、

単純明快でございましょ。

「おかめはちまき」(岡目八目)

一目見て大笑いなんていうのは絵と文字がお互いを

惹きつけあっておりますよ。

「えんま舌の力もち」 (縁の下の力持ち)

もう次から次と現れる地口に、薄笑いやら、大笑いやら

キリがございませんですな、

この地口行燈も、浅草伝法院通りには当たり前に飾ってあり、

歩く人の目を楽しませておりますが、他の町で思い当たるのは

北千住のお祭りくらいですかね、人と人の関係がギスギスしている

現代こそ、思わず噴出してしまうユーモアが大事なんじゃないですかね。

昔の庶民文化を大切に生きている浅草はいい町でございますな。

浅草竜泉 「千束稲荷」にて