夕べは宿に戻って風呂に入ったとたん、バタンキュウ、

やけに寝つきが良かったのは調子に乗って江戸時代人みたいだ

と歩き廻ったせいだったのでしょう、

夜中に一度目を覚ますと外からは玄界灘の波音が聞こえていた

とばかり思っておりましたら、何と雨音だったのです。

本日は、唐津神社秋季祭禮 神幸祭なのです、

恨めしそうに雨空を眺めながら、朝からご馳走をいただき、

アタシだけ神社へ駆けつけるのでございます。

祭りの本意は、神輿渡御にあり と信じている浅草っ子は神輿の宮出しを

見逃すわけにはいかないのです。

唐津神社の御祭神は住吉三神、

江戸里神楽ではお馴染みの、

底筒男神(そこつつのおのかみ)、

中筒男神(なかつつのおのかみ)、

表筒男神(うわつつのおのかみ)、

どうやら一之宮にはこの三神の御霊が、

はて二之宮がありますが、こちらはどなたが・・・

神田宗次公(こうだむねつぐこう)

天平勝宝7年(755年)に、時の領主であった神田宗次が神夢により

海浜に赴くと、漂着してきた宝鏡入りの筺を得たので帝に奏聞した

ところ、9月29日に「唐津大明神」の称号を賜ったというのです。

どうやら、浅草三社様の由縁とどこか共通するものがございますね。

若衆たちは曳山に掛かりきりらしく、神輿の宮出しは

老役員さんの仕事らしく、本殿から神輿を運び出すところなど、

足元がよろけてはらはらいたしますね。

それにしても、土砂降りの中の宮出しになってしまいました。

この祭りが雨に降られたのは何十年ぶりとか、それはそれで、滅多に

見ることの出来ない雨のおくんちもまたよきことかもしれませんですよ。

さて、神輿は台車(かなり立派な)に乗せられると、準備が整ったようです、

どうやら、担ぐことはせずに、鳳輦のように台車で巡行されるようですね。

昨夜から気になっていたのが、男衆の祭り衣装なんです。

パッチに 江戸腹に テコ、足元は綿黒足袋に赤い鼻緒のくんち草履、

肩からはりりあん編みの組紐にお守りが括りつけられている。

その上に羽二重地の肉襦袢を羽織り、博多帯で締める、

さらに其の上から長法被に袖を通せば唐津男の出来上がり、

これが実に男振りをあげるのですね、

江戸っ子が粋でいなせを心情ににしたのとどこか共通する姿でありますな。

神輿が神社を出輿すると、いよいよ一番曳山 赤獅子から曳きだされて

いきます、

「エンヤー エンヤー!!」

各町内を渡御する神輿を守るように曳山が続きます、

この14台の曳山はすべて唐津大明神に奉納するためにあるのでして、

決して観光客のために祭りをやるわけではないという心意気が

ひしひしと伝わってくるのは、もしかしたらこの雨がなお一層そのことを

引き立たせたのかもしれませんね。

さてこの神幸行列は各町内を巡行したあと、西が浜に設えられたお旅所で

勢ぞろいする、休憩をはさんで再び神社へと戻るのもまた町の人々が

お迎えするはずでしたが、雨はひどくなりこそすれ止むことがなく

とうとう時間短縮になってしまいました。

町の中では、なんだか急に心棒を外されたように虚脱した人々の顔、

皆さんの祭りに掛ける心意気が沈んでしまいました。

「こんなことは滅多にないことですたい」

口ぐちに語り合いながら、本日の祭りは各自の家々に持ち帰られたようです。

きっと、女衆のこころを込めた御馳走が萎えた心に元気を取り戻させて

くれるはずです。

それが 唐津くんち のはずですから・・・

2015年 秋