踊る阿呆に見る阿呆 

同じ阿呆なら 踊らにゃ損々

  ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ

  ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ

日本の民謡の中では、突き抜けて明るさを

前面に押し出してくるのが

『阿波よしこの節』

三味線が切れのいい音曲を奏でれば、鉦、太鼓、鼓が

リズムを刻む、笛の音が突き抜けると、いよいよ踊り手の

体が動き出す、

もうじっとしてるわけにはいかないほどの雰囲気が一気に

辺りに充満してくるのが、阿波踊りという不思議な踊り

なんですね。

この阿波踊りの楽しさは

踊る阿呆が張り切れば張り切るほど、

見る阿呆もテンションが上がるというけったいな踊りなんですよ、

その見る阿呆を任じている祭り狂いのアタシなんぞは、

まさに阿呆を通り越して 祭り馬鹿の小結くらいは

いただけるのではないかと、にこにこと

ほくそ笑んでいるんです。

その見る阿呆が夢中になっているのが 舞踊集団『菊の会』、

男踊りの切れの良さはもちろん、女踊りの姿のよさには

毎回、うっとりとさせられるのでありますよ、

あの若い人がスターを夢中になって追いかける心理とは、

きっと自分に出来ないことを軽々とやってしまうその存在に

もろ手を挙げてひれ伏してしまう症状なのではないかと

納得させられてしまうほど、『菊の会』の踊りは

有無を言わせぬ説得力がほとばしっているのですね。

毎年、毎年、舞台踊りを見続けていると、大抵はマンネリ化して

来るものですが、この『菊の会』の踊りは、ますます切れみを

増し続けているんです、

プロの集団といってしまえば、当たり前と思うかもしれませんが、

見られることを意識の中に入れながら、それでも同じ位置にいないのが

プロのプロたる存在なのでしょうね。

今年は、少し舞台構成を変えておりましたね、

踊るだけでなく、舞台の上に、見る阿呆を演出させていたことが

えらく心地よく見えました。

仲間の踊る姿に手拍子をしながら、廻りで囃子立てるという演出は

静と動がうまく絡み合って、新鮮であり、楽しさを倍加させる効果を

かもし出しているように伝わってまいりました。

舞台の上は、実はプロもアマチアもないのです、

いかに見る人々に感動と感激を起こさせることができるか、

勿論、見る側の理解も千差万別ですから、これがいい とは

なかなかいえませんが、こと踊りについては、なにか人の魂に

直に触れてくるモノがあるように思われるのです。

此の国には、人が体を使って表現する方法が二通りあるのでして、

ひとつは 踊り、そしてもうひとつは 舞い、

民俗学者の柳田国男先生は 踊りは行動であり、舞いは行動を副産物

とした歌または かたりごと であると述べておりますが、

踊りこそが、あらゆる人々のこころを動かす原動力になりうるのかも

しれませんよ。

たかが踊りと云う無かれ、踊りこそ人間の持つ

本能から発する声を表せる貴重な行為なのかも

しれませんよ。

その踊りを、今年も見事に表現してくれた

 『菊の会』の皆さんに

見る阿呆は盛大な拍手で応えるのでありました。

今年は祭りのない夏、

せめて思い出に浸るのでございます。