73回目の8月15日、あの敗戦からの年月は私の人生の

長さでもあるのです。

敗戦を一歳で迎えた一国民には戦争の記憶はない、しかし、

敗戦後の混乱、傷痍軍人の姿、食料不足による健康被害等は

数々体験している。

周囲にはこの世から消えてしまった親戚の何と多かったことか、

敗戦時のこの国の平均寿命は何と24歳だという、

今年は戦争体験者の高齢化も極点に達している、今まで封印してきた

戦争体験を話し始めた人が、常より多く現れてきたことも特別な気がする。

生き残ったことへの罪悪感、戦友たちへの慟哭、

その思い口を開かせたのは、この国が今抱えている閉塞感に危険な臭いを

敏感に感じ取っているからなのでしょうか、

広島、長崎、だけではなく、戦災を受けた街を随分訪ね歩いてまいりました、

肝心な戦争の話になると、老人達は悲しい目をして黙り込んでしまう。

「思い出させないでくれ!」

そんな言葉を何度聞いたことでしょう。

数年前の春、鹿児島の知覧を訪ねた、

お茶と武家屋敷の残る平和そのものの町です。

もし、語り伝えることを止めてしまったら、

何事もなかった町として生きていけたかもしれない、

平和とは、日々の何気ない生活の中にこそあると

強く感じた旅でした、しかし、人間はもし今の幸せが

続かない危機に見舞われたら、簡単に敵を作り、その目に見えない

幸せの為になら武器を握ることの理由はいくらでもつけ始める、

「家族のため、

  愛する人を守るため、

   そして何時の間にか国のため・・・」

その善意の衣を被ったひとりひとりの中に、戦争とはどういうことか、

何が残るのかを知らないままその善意が一番大切だと思い立った時、

実は危険が頂点に達しているのです。

それが人間のもつ善意の危うさなんです。

敗戦から先人たちが学んだことは、

「ダメなことは絶対にダメ!」

ということを、一人一人が何処にいても

言い切る勇気を持ち続けること。

体験者の話はいつもそこに集約されている。

73回目の夏は、平和でなければできない祭りの中で、

その平和をじっと感じています。

もう10年以上前の8月15日、

その日、人波の消えた銀座の街中で、

ある少女のたったひとりだけの成人式を祝いました。

笑顔でいることより涙を流すことの多かった彼女は

自らの力で病気を克服し、

「二人で人生を歩いていくことになりました」

と嬉しい便りをいただいた、

彼女の人生の変化は平和そのものが可能にしてくれたことに

違いなく、平和でいることの確かさを教えてくれました。

遠くで花火の重たい音が聞こえてきます、

ゆかたに着替えた若者達は、

あの音を誰も大砲の音だとは想像だにしないでしょう。

「あっ!花火よ」

若い娘は何の疑いもなくそう呟いた。

そう、それが平和ということ、

先人たちが祭りを残したのは、若者達の戦になるエネルギーをかわす目的も

祭りの中に仕込んでいたんですよ、

神輿を担いで、その高揚するヘネルギーを発散させ、神を喜ばすという

純粋な奉仕としての祭りをね。

決して神の名を持って戦の後押しをさせるためではなかったことを

祭りの中で感じ取っていた今年の夏の8月15日です。

(2018年夏の特別な日)