今の時代の桜といえばこぞってソメイヨシノの乱舞に

目くらましをうけ、もうヘトヘトになるほど桜にうつつを

抜かすのでありますが、

かつて桜といえば、清少納言も、紀貫之も、あの西行も

あの楚々とした山桜に想いを重ねていたはず、、

もう坂東の桜(ソメイヨシノ)もあらかた散り果て、

桜協奏曲も終わりを告げておりますよ。

  常よりも 春べになれば桜川

   波の花こそ まなくよすらめ

           紀 貫之

「西の吉野、東の桜川」と詠われた桜の名所も、

一度は絶えてしまったといいます、

その桜川に再び山桜を咲かせたのは、

やはり桜に魅せられた明治時代の岩瀬の俳人

石倉翠葉(重継)氏の情熱あればこそだったとか、

その翠葉氏の記念碑が山桜の花の下に密やかに

置かれていた。

まさに此の地は現代の山桜の聖地かもしれない、

 『桜川匂、樺匂、初見桜、初重桜、大和桜

  源氏桜、白雲桜、薄毛桜、青桜、青毛桜、梅鉢』

名も麗しい11種の山桜は、昭和になって天然記念物に

指定されている。

それにしても、これだけの山桜の宝庫でありながら、

人の姿はない、

もうソメイヨシノ以外は桜とみなさなくなった

ということなのですかね、

小さな薬師堂を包み込むように小さく可憐な花を

咲かせる山桜には妖艶さは微塵もない、

人生の大先輩のNさんがいみじくも言われた言葉を

思い出している、

「山桜の本当の美しさを感じるのは、

 人間喜寿を過ぎないと判らんかもしれんよ」

遠く日向の国から我が子を捜し求めてきた母は、

ここ常陸国桜川にたどり着くのです、

時は正に桜一色、

 『名もなつかしみ桜川の、一樹の蔭一河の流れ、

 汲みて知る名も所からあひにあひなば、

 桜子の、これまた他生の縁なるべし。』

さくらの馬場を後にやって来たのは

 『櫻川磯部稲村神社』

何処からとも無く謡曲『桜川』が聞こえてくる、

そして、その名も麗しい11種の山桜が夕暮れの境内に

浮かび上がっていた。

此処は桜児伝説の伝わる地、

「桜に想いを重ねるに相応しい地はここより他には

見当たらぬ」 

そんな気にさせる桜精が漂う桜旅の途中です。

  風吹かば 波も幾重のさくら川

   名に流れたる波の音かな

          御九条 内親王