日本の桜は分類学上ではふたつに分けられています。

自生種の桜を「山桜」、

園芸品種の桜を「里桜」と表記しているのです。

関東の桜の代表は広大なシラス台地が育ててきた

エドヒガン桜で古くはアズマヒガン桜とでも呼ばれて

いたのでしょう。

そのエドヒガンの突然変異種がシダレサクラで、

これも関東の箱根山中で見つけられたといいます。

その関東は昔から桜咲く地であったことは、

多くの詩歌を詠むまでも無く春を迎えるたびに

桜が彼方此方に咲き誇っていたのですね。

その関東にはエドヒガンの他に、

伊豆七島、房総半島、伊豆半島にヤマザクラと同じように、

葉芽が萌生し、それから花芽が開くオオシマザクラという

大輪の花を咲かせる桜があったのです。

このオオシマザクラは生態系の変化で突然変異しやすい

品種でもあったのです。

このオオシマザクラは結実するためには異品種との交配が

必要だったのです。

江戸時代の中頃、世の中が平和になると、人々は園芸文化に

身を入れ始めるのです、

特に桜はこのオオシマザクラを親木として数々の里桜が

作り出されていくのです。

八重咲きの桜はまたたくまに江戸の住人に受け入れられた

のでしょう、

楊貴妃(ヨウキヒ)、鬱金桜(ウコンザクラ)、関山(カンザン)、

一葉(イチヨウ)、御衣黄(ギョイコウ)、太白(タイハク)・・・

このオオシマザクラからでも二百種以上の里桜が生まれたのです。

江戸後期の旗本家用人岡山鳥の「江戸名所花暦」には、

江戸第一の花の名所に挙げているのは、上野東叡山寛永寺、

今や江戸の桜の八割がソメイヨシノに変えられてしまった中で、

その寛永寺に遅咲きの八重里桜が咲き始めているのです。

喧騒の上野の桜協奏曲が終わりを告げた後だけに、

この八重里桜を楽しむには、まるで江戸の昔がこうであっただろうと

思われるほどに静かな雰囲気の中で見上げてみると、

吉田兼好さんがあれほど嫌った八重桜がまるで幻を見るかのように

咲く様は八重桜に対する感情が一変するほどに感動的でございますよ。

江戸の桜の大恩人は、八代将軍吉宗公、この将軍無かりせば、

これほどに桜文化が残ったかどうかは判らないほどでしたでしょう。

その吉宗公は、桜を残したまま、自分の墓所を作らせないまま

この世を去っていたのですよ。

今は綱吉公の墓所に合祀するように言い残したという。

その綱吉公の墓所の前に盛大な八重桜が今年も咲いている。

桜好きだった吉宗公はきっとこの八重里桜を見つめていることでしょう。

八重咲きのカンザン、イチヨウが風に揺れる、まもなく五月の夏が

やってきますよ。