アタシ等の親父(明治生まれ)の時代は、料亭遊びというのが

男の甲斐性みたいなものでしてね、柳橋、浅草、向島辺りには

料亭が紅灯を点しておりましたね。

「お父さん呼んでおいで」

なんて母親に言われ、大抵は行きつけの料亭にいくと

親父が赤い顔しておりましてね、

「まだ用事が済んでないから遅くなると言っておけ」

まあ、明治生まれの男は随分威張っていたものでしたよ。

そんな環境で育った子供は、料亭の何たるかを知らず知らず

のうちに身につけるのでありましてね。

男の遊びといえば、料亭というのが当たり前に思っていた

のですから、父親の生活というのは良くも悪くも倅に

影響するもので、

アタシも酒も呑めないのに花街に出入りしたものでしたよ。

柳橋は敷居が高過ぎる、浅草は親父の縄張り、そこで

目をつけたのが当時若い芸妓衆の多かった神楽坂の町に

入り浸りなんてこともありましたですな。

こういう昔話をするようになると年寄りになった証拠、

そういえば、あんなに元気だった親父も何時かは年老いて、

最期まで我が侭振りを残したまま逝っちまいました、

そうだ今日は彼岸の入りでした、愛染院という親父が入るには

ぴったりのお寺さんに墓参り、今はオフクロも一緒ですから、

きっと肩身の狭い想いをしてるでしょうね、

生きている間好き勝手したのですから、

彼岸ではこころを入れ替えているのでしょうかね。

墓参りを済ませて帰る途中、小腹が空いてちょいと

立ち寄ったのが神楽坂というのもなんだか親父の薫陶

よろしきを地でいってるみたいですが、

これは偶然ですよ。

ここ二日ばかりですっかり秋そのもの、

昔の人の「暑さ 寒さも彼岸まで」

というのは今も生きていたんですな。

通いなれた坂道をのんびり登れば、夕暮れの昔町に

祭り提灯の明り、

「そうか、赤城神社のお祭りだったんだ」

久し振りにお参りしていこうと境内に足を踏み込むと、

神社の本殿も建て替えられておりましてね、

それがなんともモダンな建物で、隣にはカフェまであるという、

まさに現代のお洒落神社に変身しているではありませんか、

神楽坂がお洒落な町に変わり始めてもう定着し始めて随分時が

経ちましたが、

ついに神様も変身されたかと、妙に切ない気分でございます。

新しいモノはやがて古くなり、

古いモノはやがて消えていくのでございますよ。

今宵は鬼姫様もご一緒、お気に入りの店で祝杯を挙げるお姿を

横目で見ながら、

切ない気分を向こうへ押しやるお彼岸散歩の途中でございます。

「嗚呼!平和がいいわいな・・・」