有楽町の駅前に読売会館が出来たのは1957年5月、

もう60年も前のこと、それよりも人気を博したのは、

同時に百貨店そごうがオープンしたことでしたな、

アタシどもは丁度中学生の生意気盛り、

浅草の松屋が一番だと思っていたのに憧れの有楽町に

関西のデパートが出来たというのですから物珍しさを

感じたものでしたね。

早速、悪童共と見にいったのですよ、

いきなりびっくりしたのは、扉がないのに外の温度と

中の温度が違うこと、

「エアーカーテン」と言うのだそうで、まあ、早い話が

今ならトイレについているエアー乾燥機のお化けみたいな

ものが天井から噴出してきて外気を遮断しているという

そんなに特別新しい発想のものではないのに、なにしろ

そんな空気の扉など初めての体験でしょ、

そのエアーカーテンを出たり入ったりと何のことはない

ただのオノボリさん状態でしたね、

アタシ等はまだ中学生でしたから驚くのは当たり前でしたが

大人たちも同じように出たり入ったりと、まあ、まだ日本人が

素直な人ばかりだった時代だったのですよ。

オープン当時は一日30万人の物好きが集まったというのですから

日本の昭和三十年代はのどかな時代でしたね。

フランク永井の歌う 「有楽町で逢いましょう」が大ヒットすると

有楽町そごうは、当然のように、待ち合わせ場所として認知され

渋谷ハチ公前よりも人気を博していたのですよ。

あれから六十年、時代はいつまでも優しい手を差し伸べては

くれないものであんなに人気のあった有楽町そごうはいつのまにか

撤退してしまいました、

其の後は、あのビックカメラが出店、

おかげで、今じゃカメラ売り場に入りびたり、

気がつくと手に新しいカメラが・・・

一度に二台のカメラを使えるはずも無いのに、いつの間にか

増えるカメラの数、

アタシの部屋にはカメラがゴロゴロしてるというのですから、

その初まりは有楽町に近づいたことだと言い訳をする人生で

ございますな。

先ほども、ついカメラ売り場に立ち寄ったのが失敗でした、

この店では、新しいカメラを自由に手にして体験させて

くれるのですよ、

気になるから手にしたのですから、後は支払いの列に並ぶのは

時間の問題でございます。

「この光を逃したくなかったのだ」

とぶつぶつ呟きながら、手に入れてしまったカメラで夕暮れの街を

写そうと表に出ると 雨・・・、

それでも嬉しそうにシャッターを押しているのです、もう病気ですよ、

ふと我に返って、

「家に持って帰れないな」

と鬼姫様の顔がちらちら、証拠に残るものは全て廃棄して

小さなカメラだけをそっとバックに忍ばせて、もう昔から使っていますという

顔で家路を歩く散歩の途中でございます。

それにしても新しいカメラはよく映るものかな・・・