町はそこに集う人々の意思によってどのようにも

変わっていきます。

人が生きているように、町も生き続けているのです。

同じように見えても、その町を歩き始めると町の顔が

いろいろに見え隠れするんです、

それはその町の匂いであり、

その町の過ぎてきた生き方の歴史であり、

その町のひとりひとりの想いの集約でもあるのですね。

「ああ、いい町だなぁ」

って感じるためにアタシにも基準みたいなものがあることに

気づきましてね、

勿論、美味しい食べ物屋も用件のひとつではあるのですが、

歩いていて、すーっと吸い込まれるように入ってしまう古書店が

まず第一の用件なんです。

古書店はその町の文化のバロメーター

勿論、商売ですから売れる本ばかりを集めるのも大切なことでしょうが、

あまり社会に迎合するとすべてが漫画ばかりの古書店なんてー笑えない

店が現れるんですね、

その店主の意思の現れた本を前にしみじみと出会う本は、

旅の途中で出会う人と同じでしてね、

探していた本、初めて出会う本、膨大な本の世界から店主が

探してきてくれた本との出会いは、もうその古書店がその町に

存在しているだけで、

「ああ、いい町だなー」

と思えるのですよ。

つげ義春さんの本と出会ったのもこの町の古書店でした。

一冊、一冊、丁寧にパラフィン紙で表紙を覆ったその本に、

店主の想いがにじみ出ているんですね。

「いい本を集められていますね」

と声をかけると

「ありがとうございます、ゆっくり見ていってください」

アタシは6冊の古書を抱えてその店を後にするのでした。

「婆ちゃん何触ってるのさ」

「この海老生きてるのかと思ってさ、なんだ、ゴムでできてんのさ」

いくつになっても好奇心旺盛な年よりはいるものでね、

「どれどれ、・・・ なるほどよく出来てるけど本物じゃないね」

婆ちゃんは同調者が現れたことで気を良くしたのか、

弾むような足取りで西日の町を闊歩していった。

そうそう、いい町の条件 その二はね、

西日の中を歩きたくなる町なんですよ、

長い影が、ひとりひとりを大きく見せてくれましてね、

「どうだ、オレの生きてる姿を見ろ!」

って語りかけてくる気がするじゃないですか、

生きるっていいなー って感じさせてくれるには

この斜めから射す西日が一番感じるんですね、

だから、その二つを同時に味わえるこの町は

いい町なのですよ。

ビルが無くても人は楽しく生きられることを知って欲しいですね。

何処へ帰るか親子の背に西日がまぶしい東京散歩でございます。