かつてこの国には秘境よ呼ばれたところが

ありました。

はるかなる山の奥地に人の住んだ歴史は

かなり古いのです。

なぜこんなに不便な山中に住んだのだろうか

という疑問は里に住むものの一方的な解釈で、

食料需給ということになれば

かなり豊富であったことは事実なのです。

欲張らずに暮らすのであれば、

生活することに楽しみをも

見出せることがあったのでしょう。

町には町の生活の基準があるように、

山には山の生き方の決まりがあるのです。

それはどちらがいいかを比較することではなく

生き方そのものの体質の違いなのだと思うのです。

しかし人間は自分自身に無いものに対して何時も

それを求める傾向があるのは、

向上心としてみればそれはそれで大切なこころの動き

なのかもしれませんが・・・。

もしかしたら山の彼方には幸せがあるのではないか?

そう考えたのは昔も今も変わらぬこころの持ち様なのです。

道路網の発達によって秘境は確かに消えていきました、

しかし、あえて徒歩に戻って旅をしてみると、

実は歩く速度というのは物事を思考するのにいちばん

適していることに気づかされるのですね。

月山のブナの森を抜け峠にかかると、

秋は山から下りてくることを

身を持って知ることができるのです。

そして頬に受ける冷たい風に

冬が其処まで近づいていることにもね。

(山形 田麦俣にて)