木花之佐久夜毘売命とは

日本神話の天孫降臨の中で語られる女神様であります、

古事記の中では瓊々杵命は木花之佐久夜毘売命と

夫婦の契りを結ぶところとなるのです、父の大山祇命が

姉の石長姫を一緒に嫁がせると、瓊々杵命は花のように美しい妹の

木花之佐久夜毘売命だけを選んだため、木の花の咲き揃うほどの

短い命を瓊々杵命に与えられた となかなか切ない物語を

語っておりますよ。

今回の桜旅の無事を感謝して、此処だけはお参りしていかなければ

と参拝に訪れたのは 駿河国の一宮、富士宮の富士山本宮浅間大社、

勿論、かの木花之佐久夜毘売命を御祭神として祀られている、

全国に数多ある浅間神社の総本社でもあります。

すでに夕闇が迫る中を散り残った桜に囲まれながら参道を歩く、

太鼓の音が境内に響き、どうやら閉門の時間を告げていた、

聞けば、大同元年(806年)坂上田村麿が現在地に社殿を造営したと

いう、数々の武将達、中でも源頼朝、武田信玄、徳川家康などは

深く浅間大神に帰依し、たびたび境内の整備を行ったと伝わっている。

若い禰宜さんが、今日一日の無事を祈るように境内を清めていた、

その境内に一本の枝垂れ桜があった、訪ねると武田信玄公寄進の桜で

「信玄桜」と呼ばれていた。

花はすでに散り終え、薄緑の葉が新たの命の復活を告げていた。

どうやら私が本日最期の参拝者らしい、

二礼ニ拍一礼の祈りを捧げると境内を後にした、

流鏑馬が奉納されるという桜馬場の桜はあらかた

散ってしまっていたが、

その命の残り香が鏡池を桜模様に染めておりました。

女神を祭る神社に相応しい優しさが溢れているのは、

多分、桜の咲く時期に訪れたからでしょうね、

もう一度振り返ると、家康公が寄進した本殿、拝殿が

薄闇に溶け込んでいく。

さあ、東京へ戻ろう、

ともう一度桜を見上げると、その桜木の上に霊峰富士の姿、

思わず手を合わせてしまう、

「桜と富士か・・・」、

まさに此処にあるのは日本人の心のふるさと、

すっかり暮れてしまった夜道を東京へ向けてハンドルを切る、

いい旅でしたよ、甲斐路の桜旅は。