世の中にたえて桜のなかりせば

  春の心はのどけからまし

         在原業平

もう何度桜に翻弄されてきたのだろうか、

「今年こそ静かな春を過ごしたい」

と願っても、

「今年もサ・ク・ラ咲きましたね」

と人の口にあがると、身体の芯がうづき始めるのです。

桜なんてどれも同じだと想いたいのです、

でもひとつひとつの桜がみんな違うことを知りすぎて

しまったのです、

まして同じ桜なのに来る年ごとに異なる顔を見せるのです、

「嗚呼、桜が無かったら・・・」

どんなにのどかな春を迎えることができただろうに。

じっと待っていればいいものを、風が吹けばハラハラと舞い始め、

雨が降れば花の絨毯を敷き詰めて終えてしまう桜よ、

悶々としてじっと耐えているくらいなら、

いっそ桜の下に佇んでしまおう、

と、心を動かされてしまう桜よ、

もしかしたら、桜は魔物? ? ?

眼をつぶり、耳をふさいでみても、目の前に桜が舞う、

「ああ、ワタシは病気です」

医者も治せない病気なんです、

どうしたらいいか、その直し方まで覚えてしまったんです、

風もなく穏やかな春です、

耳元で誰かが囁くのです、

「サクラが待ってますよ」

あーあっ、ワタシは病人です、

「だから、直してあ・げ・るって」

夢遊病者とはこのワタシのことです

もう止めないでください、

西日を受けてその美しい姿をうっとりと見つめています、

「今年はどうしたんだろう随分早くないかい」

毎年訪れる婆さまが曲がった腰を伸ばしながら見上げている、

この桜に初めて出会ってから四年目の春です、

「いくつになったのさ」

と桜に話しかけたつもりだったのに、

「あたしほ今年八十一だよ、この桜には叶わないけどさ」

「そうか八十一か」

するとアタシはまだ当分見続けられるかね」

「何言ってるのさ、あんたはまだ若いじゃないかね」

「フッ・フッ・フッ」

「何笑ってるのさ」

「わたくしは二百歳なのよ、あなたはまだ子供みたいなものよ」

「また、そうやってひとを誘惑する」

「一年のたった十日だけでしょ、逢いにくればいいじゃないの」

何度も頷いていると八十一の婆さまが

「あんた目の焦点が定まってないよ、病気じゃないのかい」

「ああ、さくら病(やまい)って言うんだ、

 ウツルから婆ちゃんも気をつけなよ」

婆ちゃんは何度も首を振りながらじりじりと後ずさりすると、

くるりと背を向けて山門を走るように出て行った。

「桜日和ですよ」

(2018年3月31日記す)