原宿という名は若者文化の象徴のように日本全国知らぬ人が

居ないほど名が売れてしまいましたが、今は地図の上に原宿

という地名は消えてしまっていたんですね。

地名さえ残さないのが東京という変貌する街の姿なのだろうか、

もう随分昔の話になりますが、老人の思い出話だと思って聞い

てみてください。

私が運転免許証を手にしたのは昭和35年9月、自動車関係の仕事を

していた父親からポンコツの車を譲り受けた少年は、車の運転が

どうしたら上手くなるかなんてことを真剣に考えていたんですよ、

東京がオリンピックに向けてめまぐるしく変わっていくその

真っ只中をハンドルを握って、走り回る日々はやがて東京の深夜

こそ運転するに相応しいと知ることになりましてね。

当時、オートスポーツがやっと芽を吹き始めた時代、

コーナーリングとアクセルワークの微妙な感覚を必死になって

練習するのは夜中の青山通りが相応しかったのです。

勿論、船橋にサーキットが出来たことで、自動車レースに

のめりこんでいくことになるのは時代の流れだったのかも

しれませんがね。

そのサーキット仲間と夜中に集まってお腹が空くと車を

乗りつける場所がたった一箇所ありましてね、

「青山ユアーズ」というスーパーマーケット、何しろ真夜中に

開いている店はこの「青山ユアーズ」しかなかったんですよ、

当時の若者の憧れだったアメリカの直輸入の品物が店に溢れ、

確か入り口にあったホットドックが若者達の空腹を補って

余りあるものだったんですよ。

空腹を満たした若者達は、Uターンさせた車を表参道へ

向かわせるのがいつものコースだったのです。

レース用に改造した車は、夜中の表参道を爆音響かせて

疾走していたのですから、

早い話が、カミナリ族の奔りだったのですよ、まだ騒音防止条例

などなかった時代でしたから、誰もカッコイイとは思っても、

地域の人に安眠妨害の迷惑をかけていたなんて思いもしなかった

のですから、バカヤロウーの集まりだったのですね。

そんな昔を思い出したのは、久し振りに訪ねた表参道の

欅並木の下に佇んだからかもしれません、

北から南へ一直線に伸びる表参道は、この時期は北風の

格好の通り道になるんです、

大きく揺れた欅の梢から、はらはらと落ち葉が舞う、

「痛い!」

欅の葉は以外に重たいのです、顔に当たった少女が悲鳴を

上げた。

当時、オープンカーの中から見上げていた欅並木を50年後、

爺に変わったひとりの男がそっと見上げている。

思い出とは、ひょんなことで急にたちたち現れるものかな、

目の前で、顔に当たった枯れ葉の感触をあの少女はどれくらい

覚えているのだろうか、

ファッションにうつつを抜かしていた若い頃を、50年後急に

思い出すことがあるだろうか、

そんなことが可能なら、この原宿という名の街は

その思い出を増幅してくれるに相応しい街なのかもしれないね、

街は、何時の時代でも心のどこかに引っかかりを残す街であって

欲しいのです。

今のアタシがそうであるように、50年後のあの少女にも・・・

ひょいと見つけた地名表示には『神宮前』の文字、

そうか此処は原宿とは呼ばなくなっていたんだね、

欅並木を離れて横道に逸れてみる、

確か澁谷川の流れていた道筋だったはず、そこには全てが

横文字の店が立ち並んでいた、

今は「キャットストリート」と呼ばれているらしい。

そんな名前は、昔は無かったよね、

何時の時代だって時代を変えていくのは若者なんだ、

新しいモノは必ず古びていく、

古いモノは必ず消えていく、

それを時代という名に変えてしまう、

それが若者文化なのかもしれない、

若者も何時かは老人になっていくのだよ、

いつまでも残る文化がいいのか、

簡単に消えてしまう文化がいいのか、

きっと50年後に判ることだもの、

とやかくいうことはないのかもしれないね。

「ビューッ!」

北風が欅の葉を撒き散らしながら通り過ぎていく。