八朔とは旧暦八月一日のことですが、その頃になると

農業が生活の基盤であった昔は、台風や病害虫の被害が

起きてしまうため、風よ静まれ! 五穀豊穣を祈って

八朔祭りを行う地域が確かにありましたが、

時代が移り変わるにしたがって次々に消えてしまったのが

その八朔祭りなのです。

それでも京都の松尾大社、茨城の那珂湊では夏の最期を飾る祭り

として今も続いているのです。

その台風がやって来ている最中、関東で八朔祭りをおこなっている町が

もう一箇所あると聞いて訪ねたのは山梨の都留市四日市場に鎮座する

生出(おいで)神社、

旧暦八月一日は新暦にすると九月上旬、それを九月の一日としてその日に

八朔祭りを続けているというのです。

甲斐の国郡内三大祭りのひとつに数えられていたという八朔祭りは

此処 生出神社の秋の例祭として、豪華な屋台のお囃子と江戸の衣装を

纏った大名行列が人気なんだとか、

祭りの姿は実は真夜中の神事に隠されているのでして、聞けば今も

 宵宮を行っているとのこと、前日の夕暮れを待って神社へ。

鬱蒼と繁る生出山を背景にして鎮座する生出神社は紛れも無く

その後ろの山が御神体と思われる配置に、古式に適った神社で

あることが知れるのです。

奈良の三輪山しかり、真壁の権現山しかり、

生出神社の由来は遠く千百年まえまで遡るという、

祭神を見ると明らかに諏訪神社でありますが、その長い歴史の中で

名を 生出神社と変えたのでしょうか。

拍子抜けするほど静かな境内に最初に集まってきたのは神事に

欠かせない宮本神楽を行うという子供達でした、

世話人の方にお尋ねすると、宵宮の神事に欠かせない神楽堂について

お話を聞くことができました。

神楽堂という建物があるとばかり思っておりましたが、

それは台座の上に乗せられた前面漆塗りのお堂で、大きさは

幅44cm、奥行き65.5cmという小さなもので、太鼓が二つ

取り付けられており、この神楽堂を中心に神楽が奏でられことが

わかりました。

巫女さんが初々しい姿で集まると、宵宮神事のための舞をみんなで

合わせています。どうやら神の前での巫女舞いがあるのでしょう。

やがて、宮本神楽保存会の皆さん、そして氏子代表の世話人の方々が

手に 行司 と書かれた提灯を持って集まってきます。

集合合図があるわけでもなく、全員が揃ったところで、拝殿の中に

集まります。

神主様の祝詞の声が低く聞こえてきます、

どうやら外部か立会いは私だけのようです、

世話人さんに写真の許可をいただく。

参加者全員がお祓いを受けると、いよいよ巫女舞いが始まります。

拝殿に茣蓙が敷かれると、草履を脱いだ四人に巫女さんが舞う。

きっと何度も稽古を重ねてきたのでしょう、それぞれの母親の

見つめる前で見事な舞いをみせてくれました。

次に何が始まるか、固唾を呑んで見つめる中で始まったのは

神楽堂の前で控えていた保存会の皆さんによる神楽でした、

太鼓の音が トン・トン・トンとゆったりとしたリズムを刻むと

笛の音が杜の中に響き渡る、

それは祭り囃子とは全く異なる魂を揺さぶるような旋律でした、

明らかに人間のためではなく、神に捧げる音韻なのですね、

その神楽に合わせるように拝殿では獅子舞が始まった。

獅子舞は邪気を祓うためのもので、あの金色の目玉、

息遣いの烈しそうな獅子っ鼻、大口を開けてカツカツと音を立てて

噛み鳴らす歯、精悍な獅子頭こそ辺りの邪気を祓う最適な聖獣なのです。

関東の獅子舞は一人立ちが多いのですが、こちらは二人立ち、

御幣と鈴を手に舞う獅子舞はまさに五穀豊穣を祈る人間の

願いが乗り移っているかのようです。

全ての邪気が祓われた舞殿では、世話人代表を始めに、参加者が

神に手を合わせていく。

無事に神事が終わると、辺りはすっかり夜の帳に包まれておりました。

あの移動可能な神楽堂が境内から町の中へ引き出されていく、

みんなでその後ろを付いていくと、市神大神を祀った祠の前で再び

神楽の音が響くのです。

巫女さんが静かに舞う、

そして再び獅子舞いの登場、

「あれ、随分小ぶりになっているな」

後ろを振り返ると、太鼓のバチは少年が握っている、

「トン・トン・トン」

真剣な少年の瞳にほのかな提灯の灯りが点っている、

大人たちは、すぐ横に立って手の動きを教えている、

神事の本番の中で、きちんと子供達に伝える教育の場でも

あったのです。

獅子舞いはやはり中学生の少年でした、みんなの注目する中で

彼は舞い続けるのです、ここでも、手順を間違えそうになると

後ろについている大人がきちんと所作を指示するのです。

こんな素晴らしい伝達の方法を神事の中にきちんと取り込んでいる

祭りとは何と素晴らしいことでしょうか。

暗闇の中で、行司 と書かれた提灯が浮かびあがる、

行司とは、この祭事が無事に終わるように見届ける

役だったのですね。

会話ではなく、神楽の音韻が所作を導き出していく 

古人たちが祭りに込めた願いとは、

何と奥の深いものなのでしょうか。

獅子舞いは日本全国に広まり、数百年の長き刻を超えて今に伝わって

いるのですが、その間に次々に破壊と分散を繰り返し、中々その本来の姿が

留まることが少ないのです。

今日まで伝承されてきた生出神社の神事はまさに奇跡の中の出来事なのかも

しれません。

観客のいない氏子だけの祭り中で、今年も無事に終えた宵宮に日本人の

原点を見つめていた祭り旅の途中のことでございます。

(2016.8月記す)