七月の声を聞くと京都祇園祭が始ります、

さすが千年の都京都で繰り広げられる祇園祭りは

七月の一ヶ月を掛けて行われるという夏の祭りの

原点でございますな、

雅で優雅な祭礼ははさすがに各地の祇園祭も比べようが

ございませんですよ、

しかし、疫病・災厄の除去、五穀豊穣、商売繁盛を願う

気持ちはどこも負けぬくらい気合が入った祭りを行うので

ございますよ。

さて関東の祇園祭もいよいよ佳境に入ってまいりました、

祭り狂いのオジサンにとっては今が一番の祭りピークで

ございますよ。

関東の暑さにも身体を慣らし、さあ、どこへでも行きますよと

今にも飛び出す体制を整えておりましたのに、

ほとんどの地域の祭りがかち合っているのですよ、

まずは熊谷の祇園祭、吹上の祇園祭、徳川家縁の世良田祇園祭、

江戸崎祇園に、真岡に益子、さらに一度はこの目で見てみたい

会津田島祇園祭に、相馬野馬追もうひとつ那須烏山山あげ祭りが

みんな同じ日に開催されるのですよ。

嗚呼、もう二つくらい体が欲しいといくら願っても所詮無理難題、

いくら神様にお願いしても却下されますよね。

少ない脳みそをああでもないこうでも無理かと散々悩んで

(実はこの祭り行脚の悩みが一番楽しいのですがね)

結局、いつもの行き当たりバッタリ方式で東京を出発、

本日はどこへでも自由に行かれる様にハンドルを握って

おりますよ。

「そうだ、久しく伺ってない那須烏山の山上げ祭りはどうだ・・・」

確か6年連続で伺っていたな・・・

とりあえず真岡を目指していたら、渋滞情報に急遽行き先変更、

なにしろ関東一円なら裏道、逃げ道まで頭に入っておりますので

臨機応変にハンドルを切って益子の町に入ったところで、

「山車が通りますのでしばらくお待ちください」

と丁寧な応対に、

「別に急いでおりませんのでどうぞ、どうぞ」

と車を脇に止めて急遽山車巡行を見つめていると

「今夜は「手筒花火」が披露されますよ」

えっ、益子で「手筒花火」やるんですか、

益子祇園祭は二年前に伺っておりましたのに全く知りませんでした。

「今宵は益子にいたしましょう」

打ち上げ花火には全く興味はないのですが、「手筒花火」となると

三河まで出かけなければ見られないと思っておりましたので、

早速教えていただいた会場へ、

町長さんのお話によると

「手筒花火」の発祥は遠州三河、徳川家康公にゆかりがあるとのこと、

家康公は下野の日光に眠っておりますので、そのご縁で此処益子で

「手筒花火」を上げて供養するというお話に

ウーン、ちょっと無理・強引かなと思いましたが、祇園祭を盛り上げる

ための秘策として平成17年から始められたという、

祭りの中の附け祭りというのは、十年、五十年、百年と続けていくうちに

付け祭りが祭りの中心になるものですよ。

いやいや会場にはあとからあとから集まってくる観客で盛り上がって

まいりました。

山車の巡行だけではこんなに観客は集まりませんものね。

しかし、花火が始るのは空が暗くなってからでしょ、

みなさん、相当慣れているらしくイスを持参で、お弁当を食べたり

ビールを飲んだりと楽しそうですよ。

それでも、何の支度も無くふらりと寄った旅人には、一時間半立ったまま

待っているというのはなかなかシンドイですな。

どのように始るのか、何のアナウンスもないためいろいろ想像しながら

待っていると、五人組みのお囃子集団の演奏が始る、どうやら下野手筒会の

メンバーらしい。

どういうグループ判りませんでしたが、夜空に抜けていく笛の音は

確かなものでした。

最後に獅子舞を演じて演奏が終わると、アカペラで「手筒の唄」を唄った、

会場のみんなも手拍子で合わせるという姿になんだかジーンとしてしまいました、

会場を照らしていたライトが消され闇が現れた。

打ち上げ開始の花火が上がる、

刺し子の法被が闇に浮かび上がる、

手にした手筒に火が入った、火花が前へと噴出す

その手筒を真上に向けた、

火花が容赦なく降りかかってくる

火の粉の中にがっしりと立つ男の何と言う凛々しさだろう

目の前で見る手筒花火の炎は永遠ように感じられた。

そして女性も果敢に挑戦している、

「手筒花火」に生ぬるさなど微塵もない、

ああ、神と一体になっている、

伝統の在る益子祇園祭に芯を造り出すかもしれないと

再び動き出した山車から聞こえるお囃子を聞きながら

興奮覚めやらぬ祭り旅の途中のことでございます。

(2016年7月記す)