旅の途中

秩父 恒持神社 例大祭

耳を澄ましてごらん

ほら聞こえてきたよ

屋台囃子の太鼓の音が

秩父に春がやってきたんだよ

秩父はぐるりを山に囲まれた盆地の町、何処から訪ねるにも

峠を越えなければたどり着けない山の里なのです。

人の移動が徒歩であった時代は当たり前だった山越えは、

いつしか交通手段が発達すると、その山が外部との接触を

拒むことになってしまった、たしかに交通には不便では

ありましたが、文化を育むには最良の土地でもあったのです。

祭りはその地域の文化を象徴するもの、秩父には今でも

年間400を越す祭りが守られているのです。

祭り好きにとっては、秩父は絶対に外すことの出来ない

土地なのです。

もちろん祭りだけではありません、歴史的にも古代から

開けていた秩父には独特の民衆風俗が色濃く残されている

稀有な土地でもあるのです。

秩父に足を踏み入れてもう半世紀が過ぎました、

若かった昔は山そのものに魅せられ、

奥秩父の山々を何度も訪ねましてね、その山里の景観の美しさと、

さらに山旅の途中で気付いた観音霊場巡りに惹きつけられその

霊場巡りも四回も巡ったのも今はいい思い出です。

さらに、明治17年に起こった農民蜂起(秩父事件)には

10年も現地調査を始めてしまい、秩父人の心の有り様も

知ることになりましてね。

下吉田村の椋神社、石間村、 風布村、 十石峠を越えて

信州佐久への徒歩の旅をしたのも今は懐かしい記憶です。

多くの山間集落を訪ねる度に、麗しき祭りに出会うことが

出来ましたのも、

旅をすればこその結果なのかもしれません。

夏の川瀬祭りの子供達のイキイキした表情に思わず魅入りました。

さらに真冬の寒さの中で繰り広げられる 秩父神社の神幸祭には

その規模と秩父人の魂の叫びを感じずにはいられませんですよ。

十二月、小鹿野の祇園祭を締めくくりに長く寒い冬が

すっぽりと秩父の山を覆いつくす、

ひとびとはじっと春を待ちわびるのです。

弥生三月の声を聞くと、二番札所の山の梅が綻び始めます、

秩父で最初の祭りが始まるのです。

さっそく駆けつけたのは秩父山田の恒持神社の例大祭、

あいにく雨が降ったり止んだりの天候に、

「人出はいつもの半分だ」と、老人が呟く、

そんなことはお構いなしの秩父屋台囃子が唸りをあげると、

山車の上の若衆が歓声をあげる、

「ほぉーりゃーい」

夜の帳が覆い始めると、

山組・本組(荒木)の屋台2台、上組(大棚)笠鉾1台に

灯りが点される、

屋台引き回しが動なら、灯りの取り付けは静、

その間を利用して、若衆たちはどうやら夜の引き回しに

備えて食事休憩、

下駄の音を響かせて新木温泉へと歩を進めていく。

この下駄の音も秩父に春をつげている。

秩父夜祭の盛大な祭りは、それはそれは見事なものですが、

のんびりした山田の春祭りもまた人情が直に感じられて

いいものですね。

こちらもその休憩時間に腹ごしらえ、しかし其の間に又も雨です。

後ろ髪引かれながら、夜の引き回しを見ずに帰るといたします、

なにしろ雨支度(傘も、レインコートも)無いのですから

仕方ありません、続きは来年の楽しみにいたしましょうかね。

今年も秩父通いが始まりそうな気配を感じている

旅の途中です。

(2015.03.08 秩父恒持神社大祭)

Categories: 日々

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2 Comments

  1. 旅人散人様
    「真壁宵雛」、「ひいなの祭り」、「坂東の地」、「田沼一瓶塚神社初午大祭」、「秩父恒持神社例大祭」と一気に加速、雄飛の健筆の文には香気が揺蕩います。
    使用の言葉は平易、内容は深く、広く、温かみがあります。
    写真の凄さは言うに及ばず。
    山岳、山村、都会の谷間の民俗に造詣深く、読書を好み、旅を好み、飄逸にして良識を失わず、生活に潤いのがあり、やはり見事な知識人、という貴兄に「一体どなた様なのですか」というテレビドラマ『水戸黄門』のセリフを申し上げないわけにはゆきません。
    年齢は私が3歳上ということまでは判明しましたが、それ以外は皆目不明です。
    願うことはただ一つ。
    それは『日々 旅の途中』をいつまでも続けていただきたいということです。
    私が東京に在住したのは昭和34年から40年まで。
    全てが移ろいゆく中で、貴兄の綴る斯く達意にして、円熟の文こそが、不易を獲得なさるのかもしれません。
                                        根本正紀拝2016/03/07
    旅人散人様

    • 旅人 散人

      2016年3月7日 — 10:46 PM

      根本正紀様
      先走る暦を追いかけるように春がすぐ傍まで
      やってきたようです、旅を続けておりますと
      目で、耳で、皮膚で季節を感じられるもので
      すね。

      身に余るお言葉に身のちじむ想いでございます。

      旅を日常にしてみたいなどと思い立った私の
      旅の日々も、どうやら健康に恵まれたせいで
      未だ続けることができているようです。
      旅の継続の一番の要素は、枯渇しない好奇心
      のお蔭かもしれませんです。
      絵心もなく、文才もないただの好奇心の塊
      みたいな人間が唯一拠り所にしているのが
      写真なのでございます。今のカメラは押す
      だけで写せる優れものなので何のストレスも
      ございません。
      ただ、いつも願うのは、どうしたら自分の
      存在を消せるかということなんです。
      目立たぬように、気配を消しながら旅を続け
      ているうちに自分を消すことが身についてし
      まったようです。
      どうぞ、どこの誰だかわからないまま御贔屓
      くださいますよう願っております。

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