旅に出かけない時は、大抵は江戸は浅草あたりを

徘徊しているのですが、

そんな時に、ふと手にしたのが浮世絵師の歌川広重が

晩年に残した『名所江戸百景』でした。

このところ、暇さえあれば訪ねていた筑波山、

現在でも冬の晴れた日には高台に上って

筑波の峰を探したりするのを楽しみにするのです、

現在より空気も澄んでいただろう江戸時代、

ビルもなければ、遮るものもなかったのですから

望岳には条件が揃っていたはず、

江戸市中からもさぞ眺めはよかっただろうと、

その『名所江戸百景』(目録と118枚の絵図)を

目を皿のようにしてその筑波の姿を探してみましてね、

はっきり筑波山とわかるもの 六図

多分、筑波山ではないかというもの 二図

もうすっかり気分は江戸時代の旅人に変身するのでありますよ。

そんな気分のままいつもの筑波山を目指して出かけたのです。

やはり目に付くものはすべて昔のものばかり、

以前から側を通るたびに気になっていたのですが、

目的地へ急ぐあまり通過してしまった 宮山の観音堂へ

立ち寄ったのは、やはり、昔を目指す旅人になりきって

いたからなのでしょうかね。

江戸時代までは観音堂の奥へ続く雑木林に鎮座する鹿島神社の

本地仏である十一面観音を祀っていたのですが、明治の

神仏分離によって現在は駒形神社となったとのこと。

それにしても方三間の美しい仏堂で、向拝虹梁に馬の彫り物が

あるのはこの辺りで牛馬が大切にされていたことを物語るものですね。

御影石の石碑には常陸西国三十三札所再興祈念碑とある、

新たな信仰の対象として次の世代に伝え続ける強い意思がひしひしと

伝わってきます。

 一番 宮山観音ご詠歌

 よをまもる ちかいもふかき みややまに

  めぐみも みなと かよふ みくまの

さらに神木の杉の下を奥にむかって進むと、

鹿島神社の社が枯れた林の中で夕暮れ前の穏やかな陽射しを

浴びて静かな時を刻んでいた。

何処からかあの蝋梅の独特の香り、静謐な林の中でしばし黙考。

道は鹿島神社の先へとさらに続いている、

敷き詰められた落葉を踏みしめる乾いた音だけが辺りへ響く。

その先は小高い岡になっており巨大な石が積み上げられたような状態に

なっている。

明らかに古代の祭祀跡に違いなく、小さな看板には『石倉遺跡』とある。

どう見ても自然のままとは思えず、その大石には明らかに人工の削り跡が

残されている。

もしかしたら、この雑木林は古墳跡ではないか と感じ、戻ってきてから

居合わせた老人に尋ねると

やはり古墳の跡だとのこと、五世紀頃の築墓だろうか・・・

その一番の高みに登ると、目の前に筑波の峰、

そして北に続くのは 足尾山から加波山への山並み、

この古墳に祀られたのはどんな人間だったかは判らぬが

此処からの美しい山の眺めは、きっと1500年の時空を超えて

変わらぬ姿を見せてくれているのだろう、

時の彼方から聞こえるかもしれない微かな声に耳を傾ける 旅の途中です。