季節の変わり目を感じるのは人それぞれの感性によって
異なるでしょう、
風が運んでくる冷気や温かさに敏感に季節の変化を感じる人、
桜が咲くと春を感じるように、花に季節の移ろいを感じ取る人、
雨の中に含まれる情緒に季節を感じるとる人、
人の感性はみんな違うから楽しいのかもしれませんね。
季節の移ろいを感じられるものに、自らが移動することで
なおいっそう感じ取ることがあります、
それが「旅」のもうひとつの楽しみになるのです、
勿論、季節ごとに咲く花を求めて旅をすることは、
なにより精神が安定するでしょう、
そしてもうひとつ旅に潜む季節の感じ方に、季節を飛び越える、
いや遡ったり先取りしたりすることができるという
魔法のような方法が潜んでいることを見逃しては
旅の楽しみは半減してしまうかもしれませんですよ。
この国を旅してみると、一番に感じられるのは、
何処へ向かって行っても、必ず山に行き着くでしょ、
平地から少しずつ高度が高まっていくと、
1,000メートルでひとつ季節が変わってしまうことに
気づくでしょう。
高度100メートル登ると気温が0.6℃~0.8℃くらい下がるのです、
1,000メートルで8℃の差は十分に季節の変化を感じられるのですね。
実は旅の中にこの気温の変化を取り入れることは
昔から行われておりまして、
真夏の酷暑を逃れるための避暑地への旅、
そう軽井沢、山中湖、赤城山辺りはみんな海抜1,000メートルを
越えたあたりに位置しているのです。
都会からもそう遠くなく、自ら移動することでひとつ前の季節を
手にすることができるとしたら、やっぱり旅をしてみたく
なるではないですか。
祭りに明け暮れた三日間も終わり、身体も精神も
クールダウンしたくなるのは日々の暮らしの中で、
ハレの日を作った昔人の知恵だったのかもしれませんよ、
はしゃいだ後は、静かに日々を過ごす、人生は時には
変化をつけることをしないとマンネリとか、精神不安とかが
目に見えない形で忍び寄ってくるのですから、
たとえそれが遊びこころであろうと、やってみることですよ。
さて、溜まっていた仕事を片付け、ひと休みすると、
外はいきなりの夏日です、いつもの散歩も思いやられますよ、
「そうだ、季節を飛び越えにいこう!」
思い立ったらすぐに行動、ここが大事なんですよ、
ぐずぐずしてると気持ちが萎えてしまって、
別に行かなくてもイイヤって気になってしまうのが気の弱い
人間の性なんですよ、
たった一時間ですよ、
途中の熊谷では気温30℃を越えておりました、
迷うことなく山に向けたハンドルを切ると、
いよいよ季節に向かってアクセルを踏む、
海抜700m、気温25℃、いえいえ此処からが旅の始りです、
窓を開け、ゆっくりと登りはじめる、次々に現れるコーナーを
確実にクリアーしていく、
前も後ろも全く車の影もなし、夕暮れから山に向かう人は
ほとんど居ないようです、
高度100mを稼ぐと確実に気温が下がっていく、
そして行き着いた先は海抜1.400mの白樺に囲まれた牧場です。
迎えてくれたのは、鶯と今年初めての不如帰(ホトトギス)の鳴き声、
そして見渡す限りに咲くレンゲツツジの花、花、花、
人影のない白樺牧場にたったひとりで佇んでいるのです。
気温17℃、季節はまさに初夏です、
暮れそうで暮れないのは夏の夕暮れ、なのに目の前にはひとつ前の季節が
満ち溢れている、風が肌寒い、まさにクールダウンの特等席でしょ。
ここまでやってきた旅人だけに自然が見せてくれた優しさに、
耳だけを鋭敏にする旅人ひとり、
目の前の白樺の樹で
「キョッキョッ キョキョキョキョ」
そういえば昔から鳴き声を
「テッペンカケタカ」 とか「トッキョキョカキョク」
なんて書いてある本を見かけますが、どう聞いてもそうは聞こえないですよ。
ひとりで、何度も、何度も聞き惚れています。
レンゲツツジは何も話してはくれませんが、その美しい花の姿だけで
十分です、そうそう、子供さんを連れたお母さん、昔、花の蜜を吸った経験が
あるお母さんは特に、このレンゲツツジの花だけは見るだけにしてくださいね、
花にも、花の蜜にも、葉にも、根にも、痙攣、呼吸停止を引き起こす
有毒成分グラヤノトキシン、ロドジャポニンが含まれておりますので、
必ず見るだけにしてくだいね。
さてと、いつもの大沼のほとりで深呼吸、
覚満淵を見下ろす高みで、暮れていく今日という日を見送っています。
霧が湧いてきました。
崖の下で再び
「キョッキョッ キョキョキョキョ」
心が静まっていく旅の途中です。
赤城山覚満淵にて
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