誰に頼んだわけでもなくいつのまにか現代人として

生かされている、

現代人とは、情報に溢れかえった海の中を、目的が

判ったつもりでやみくもに泳いでいる人間のことを

云うのかもしれない。

その便利だというだけで他に役に立ちそうも無い機器を

全て取っ払ってみたらどんな生活になるのだろうか、

もしかしたら、『感』とか『運』とか、『気配』なんていう

すっかり感じられなくなったモノをもう一度手にすることが

出来るかもしれないかな・・・

たわいも無いことかもしれないが、やってみる価値はあるかも

しれない と考えるのが好奇心旺盛なノー天気オヤジの考えそうな

ことなんですよ。

腕から時計を外し、携帯電話は机の引き出しの中へ放り込み、

さっそく表へ飛び出してみる、勿論TV、ラジオの情報は聞かない

ようにしてみたが、都会とはよほどお節介に出来ている、

電光掲示板からは時刻から天気予報、現在の気温、湿度、

そして最新ニュースまで

まるで垂れ流しの状態で光輝いている。

「誰が頼んだのさ、余計なことばかりして」

つい俯いて足元ばかりみつめながら歩く羽目になる。

都会の中で全ての情報から開放される場所などないのですね、

「そうだ、空が眺められるところへ行ってみよう」

空はウソはつかないものね、

時計なんてものを持たなかった昔の庶民はどんな暮らし方だった

のだろう、

陽が登れば朝が来たと手を合わせた、

「ああ、今日も生きていた」と感謝しながらね、

そして空を眺める、

「うろこ雲か、そろそろ天気がくずれるかな」

井戸水で顔を洗ってると足元でネコが顔を撫ぜ廻す、

「うん、やっぱりこりゃ雨だな」

まさに観天望気の生活ですよ。

仕事に精出し、長かった夏の一日が暮れかかる、

「さてと店仕舞いするか」

日没閉店が当たり前だったのです、

夜に仕事するのは、盗人か追いはぎくらいなもの、

夜の灯りはもったいないから早寝が当たり前、

やること無いから、つい隣の女房にチョッカイだして

芽出度く御懐妊、少子化なんて心配の無い時代だったのですね。

そういえば、ニューヨークで大停電が起きた時、翌年ベビーの

誕生が増大したとか、

節電なんて姑息な手段じゃなくて、いっそのこと日本大停電に

したら、この国の少子化がいくらか収まるかもね。フッ フッ!

人間ってヤツはただぼーっと空を眺めているだけでも、

刻が過ぎていくとお腹が空いてくるのでして、

そろそろ夕食にするか、そうだ昔の人は一日朝と晩の二食が

当たり前だったんんですよ、いつから一日三食になったんですかね、

この大都会にいると、あるとあらゆる食べ物が氾濫していて

どの店も美味しそうな飾り付けして、テグスネひいて誘惑してくる

のですから、二食の生活は中々難しいのでして、つい食べ過ぎて

成人病に追い込まれる、ああ、なんという過食人生かな。

「うん、簡素な生き方は現代人には至難の技か、

余程の精神の強靭さがないと、うまく生き延びられない

かもしれませんよ」

『感』とか『運』なんてものは、自分の意思でどうかなるものじゃ

ないみたいですな。

それでも空を眺めていると気分が晴れやかになることだけは確かですよ、

晴れた日は上を向いて歩こうね。

大都会の空にも秋の雲。

それを見つけられただけでもいいじゃないですか。

「明日テンキにナーレ」

って下駄を放り投げた昔が懐かしい東京散歩でございます。

(2017年6月記す)