彼方此方から桜満開の便りが聞こえてくる、

九州も、関西も、そして関東も、一斉に満開を迎えたという、

こんなことはかつて一度も経験したことがないのです、

比較的早い東京の桜を満喫して、

「さて、そろそろ桜旅へ出かけるとしますか」

と少しずつずれて咲く桜のお陰で、今日はあちら、

明日はあの桜と南から北へと旅することができたのですよ、

果たして今年は、みんな一斉に咲いてしまって、

ひとつしかない体でどう桜と向き合えばいいのでしょうかね、

とりあえず東京の桜をじっくり目に焼き付けて、

それから考えることにいたしますよ。

またあの日のように風と雨が吹きつけるという天気予報に、

「今年の東京の桜が終わってしまうのか」

となんだか急に寂しさが襲ってきましてね。

富士見坂をゆっくりと登ると、日暮里(ひぐれのさと)に

昔からの神社がありましてね、

名を諏方神社という、ここは隠れた桜の名所、

しかし花見の宴会は厳禁のため散歩の途中にふらりと

立ち寄るというのが昔からの桜の楽しみ方、

それに、近くに上野の桜の杜が控えておりますので、

ここまでやってくる花見客は少ないのですよ、

何時降り出すか判らない天候ではなお更でして、

それでも何とか散らずにその美しい姿を見せてくれましたよ、

旅の無事をお祈りして、のんびりと歩き出すといたしますか、

お隣は、地蔵様のいる御寺   

こちらもそっと手を合わせてひょいと見上げると桜の上に

スカイツリー、  ナンダカナー。

さて、歩く先々で桜が呼んでおりますよ、

まあ、この時期散歩しようといったってこうも桜が咲いていると

あっちへひっかかり、こっちで足止め、散歩にはなりませんですがね。

補陀落山観音院養福寺 なんて聞くと足を踏み入れるのも

躊躇いたしますが、

門から中を覗くと、仁王様がこちらを睨んでおります、

その周りは桜・桜・桜、その桜がはらはらと散り始めて

いるのですよ、

それに、こちらにはアタシの大好きな山崎北華ゆかりのお寺、

この先生、不量軒,無思庵,捨楽斎などと名乗りながら

諸国を旅するいい加減な親父さんで、

芭蕉の旅をなぞって旅をしていたかと思うと、

芭蕉と出会ったといっては、旅を途中で切り上げたり、

自分の葬式をここ養福寺で生前に行い、

自らを自堕落先生などと称して

墓を建てたりとやりたい放題なんですよ、

そのウソで固めた「自堕落先生碑」も二百年も経てば

何にが本当だか判りやしませんですよ、

何だかあの世から舌をだしながらこの桜を眺めて

いる気がしませんかね。

自由に生きるっていうのは、実に気が晴れるじゃないですかね。

自堕落先生に手を合わせてさらに散歩を続けますか、

やって来たのは先日お邪魔した月見寺の本行寺、

もう、あの麗しい枝垂れ桜はすっかり花を落としてしまいましたが、

本堂前の大きなヤマザクラは今が見頃でございますよ、

こちらには

 青い田の 露をさかなや ひとり酒  一茶

なんていう碑がその桜を見上げておりますよ、

わずか数百米を一時間もかかって歩いてみましたが、

これは散歩といいませんでしたかね、

そうだ、散人自堕落散歩なんてのたまうのも いとおかし

「真面目だけが人生じゃないよ」

なんていう声が何処からともなく聞こえてきた本日の

自堕落散歩でございます。