旅の記憶

「まもなく岩国、岩国です」

そう、鬼姫さまが絶対に行きたいといった場所が岩国の錦帯橋、

「昔から一度でいいから渡ってみたかったのです」

というその錦帯橋は岩国駅からバスかタクシー、

バスは一時間に一本、それも今しがた発車したばかり、

バスの方が景色が見られるという鬼姫さまをなだめてタクシーで

向かう。

だいたい名所旧跡なんてものは情報過多の現代では、期待ばかりが

膨れ上がってしまいいざその場に立つと

「えっ!コレデスカ・・・」

なんてことが多いのですよ。

札幌の時計台などは、その目の前で客待ちタクシーの運転手さんに

「札幌の時計台まで」

と気取って乗車を申し込んだら、

「ハイ、もう着いてます」

と目の前の小さな建物を指差してニヤリ、

「えっ!コレデスカ・・・」

そうそう、高知の播磨屋橋など、

「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た・・・」

なんて唄ってるうちにいつの間にか通り過ぎておりましたっけ、

ところがどうです、目の前に現れた三連の錦帯橋、

写真で見ていたのとは大違い、その素晴らしさに思わず魅入ってしまいました。

川幅は200mを超えそうな広さに、橋を架ける技術をすでに持ち合わせていたこと、

ぐるりを見れば山に囲まれた岩国の町、ひとたび大雨に見舞われれば、

川はあっという間に増水するのは明らか、仔細をお聞きすると、

錦川の氾濫により、最初の頃の橋は何度も流された歴史があったとのこと。

流されない橋の研究は、長崎のアーチ型を参考に進められたそうですが

こんなに広い川幅では不可能だったらしいのですが、

ある時、中国明の帰化僧・独立(どくりゅう)の意見に耳を傾けた吉川広嘉は

杭州の名勝西湖に掛かるアーチ橋、途中にある島を次々に橋を架ける様に

ヒントを得てこの錦川に小島のような頑強な橋脚が造られ流されない橋を完成させた

のです。

(岩国城)

(見事なサイカチの大樹)

延宝2年(1674)の再建以来、276年の間、流失することなくあり続けた錦帯橋は、

昭和25年9月13日岩国を襲った台風の増水によりとうとう流されてしまったのです。

当時の人々は川横断利用の為だけではない、歴史を残す錦帯橋の再建に乗り出したと

いいます。コンクリーとによる頑丈な橋を作ることを求めてきた国の要求に

地元の人々は粘り強く交渉を続け、あの276年間あり続けた原型を残す錦帯橋を

ついに完成させたのです。

そして、再建から約50年が経過した平成13年(2001)、木造部分の橋梁が見事に

架け替えられたのです。

(錦帯橋を完成させた吉川広嘉公)

(桜の紅葉ですね、春の桜にも会いたくなりました)

どうやら鬼姫さまはその時のニュースを見たいたらしく、一度自分の眼で

見てみたいと思い続けていたというのです。

橋の上から透き通った錦川の流れを見つめているとまるで江戸の昔に旅を

している気分です。

対岸の横山の山上には再建された岩国城がその姿を見せています。

「やっぱり来てヨカッタ!」

もうこれで思い残すことはありません  とは また心配の種が見つかって

しまいました。

無理やりでも旅に連れ出さないとね。

(2015.10.13 旅の記録)