五月の声と共に始まった下町の夏祭り、

下谷神社大祭、神田明神大神輿渡御を皮切りに

第二段は地元浅草三社祭に浅草八幡神社祭礼に小野照崎神社祭礼、

第三段は場所を上野界隈に移して

湯島天満宮例大祭 神幸祭に五條天神社大祭

もう次から次へと息つく暇も無い祭り三昧、

さて月も替わって水無月は

白髭神社祭礼に高木神社の例大祭さらに長浦神社祭礼、

それにしても、疲れますな!!

(鳥越神社 宮神輿)

目を覚ませば、これ以上ないだろうという上天気、

こういう日を祭り日和と云うのでしょうね。

まだ現役で仕事をしておりますので、さっさと片付けて

本日も、昨夜に続いて鳥越神社の御祭礼にまいります。

目を覚ませば、これ以上ないだろうという上天気、

こういう日を祭り日和と云うのでしょうね。

明日の朝出輿される宮神輿が鎮座される境内では氏子の皆さんが

静かに祈りを捧げる姿が胸を打ちます。

(三筋町内四ケ町連合渡御)

鳥越の御本社神輿は、担げる神輿では重さ千貫(四頓)

といわれる日本一といわれる重い神輿でもあるのです。

実はこの神輿が出来上がったのは昭和3年のことなのです、

それまで、町内を毎年練り歩いていた従前の大神輿は

大正12年(1923年)9月1日(土)11時58分32秒に発生した

関東大震災で焼失してしまったのです。

関東一円で

死者・行方不明 10万5千余人、

全壊、焼失家屋 37万2千余棟

未曾有の大震災でした。

残された人々は、瓦礫の中で茫然自失、

しかし、再び前を向き復興のために必死で

働き始めたのです。

街が目覚しい復興を遂げる中で、鳥越の氏子の人々から

「もう一度、神輿を、どうせ造るのなら

 日本一の神輿を造ろうじゃないか」

それは、この街の人々の希望の星だったのかもしれません。

災害復興の中から、古人たちは力を合わせ多くの浄財を募り

何処にもない大神輿を完成させたのです。

(浅草橋三丁目町内神輿)

五年前の東日本大震災のあと、鳥越祭りは大震災復興祈願を

掲げてこの宮神輿が氏子町内を担がれたのです。

今年は九州熊本での震災が起こりました、

震災にはことのほか敏感に反応するこちらの祭礼、

今年も震災復興を祈願してこの大神輿が渡御されるでしょう。

どうぞ、諦めないでください、

みんなの力を合わせれば、出来ないことはない ということを

証明した人々がいたことをどうぞ忘れないでください。

こちら鳥越神社の氏子町内は

宮元・西三筋・三筋南・小島二東・小島二西・小島一・鳥一・二長町

柳北・浅四・柳二・浅三・東三筋・三桂・三筋北・阿部川・栄久

菊屋橋・北松山・南松山・永住・七軒町・志ん猿の二十三町会。

まずは宮元町会の町内神輿を拝ませていただき、

各町内を巡ると、アタシの高校が氏子だった旧三筋町内の四ケ町連合渡御に

出会いましてね、

(宮元町内神輿渡御)

お隣同士の町内が和気藹々と神輿を担ぐというのはいいもんですね。

ここで昔の同級生にバッタリ出会い、

「お互い爺になっちまったな」と

旧交を温めて次はいつもお世話になる浅草橋三丁目町会さんへ、

こちらも南部六ヶ町連合渡御が行われておりますよ、

こうして各町内が一緒に神輿を担ぎ出すと、そのエネルギーが

一緒に重なって盛り上がりが素晴らしいですよ。

夜の帳が覆い始めると、いよいよ町内神輿の宮入りが始まりました。

鳥越の祭りはやっぱり夜がいいですね、

(町内神輿宮入り)

心地よい夜風に吹かれながら、神輿が揺れています。

親父の肩の上で、この美しくも壮大な祭りを見つめていた子供達は、

やがて、次の世代を支える若者に成長していくのでしょう。

祭りはこうして人間を成長させながら、前へ前へと進んでいくのですよ、

世代を引き継ぐというもうひとつの大儀を乗せててね・・・

(2016年水無月に記す)