下谷神社の言い伝えに

 天慶二年(939年)、平将門による天慶の乱追討祈願のため、

藤原秀郷が社殿を新造したということをよりによって神田祭りに

向かう時に教えられましてね、、

なにしろアタシは根っからの将門贔屓でございますよ、

将門殿に会いに行く前に憎き敵の秀郷が新造した

下谷神社の社殿に参っていたんですな、

今更、取り消すわけにもいかず、神田明神へ着いたら真っ先に

三之宮神輿の将門命様に手を合わせねばと、ところがドッコイ、

境内に入ろうにも町内神輿の宮入りが始まっていてにっちもさっちも

いきませんですよ。

そこは祭り狂いの爺は、知恵を働かせて、

裏の階段から見事に神輿庫の前にはせ参じた

というわけでございますよ。

入母屋造りの三之宮神輿を目の辺りにして

感激ひとしおでございますよ。

かつては逆賊の汚名を着せられた将門公もやっと

神輿にお乗せして巡行できるようになったのですから

こんな嬉しいことはございませんですよ。

境内は立錐の余地も無いほどの人・人・人・・・

十番神輿(淡二町会)が丁度宮入りでございます。

紅白の幕の間からその光景を眺めていると、

まさに天下祭りの面目躍如でございますな、

境内に入った神輿を担ぐ面々の誇らしい顔、

ひときわ掛け声が高まりますよ、

「ワッショイ!ワッショイ!」

ところが、境内に入るのも一苦労なら、境内から

各自の町内へ戻るのもこれまた一苦労、

裏の坂道を意気揚々と下る神輿に周りから

「オツカレサン!」の声が飛ぶ。

宮入りを無事済ませて自分の町内に戻る神輿、

これから宮入りする神輿が順番を待っている、

なにしろ百基以上の神輿が宮入りを済ませるのですから

最後はどっぷりと夜も更けるでしょうね、

さて、早々と宮入りを終えた町内神輿は、各自の町内で最後の

神輿振りでございます。

多町二丁目は江戸の昔から続く由緒ある町名、

かつてあった神田青物市場の中心地でもあったのです、

「多貮」の半纏が揺れる、

いつ観ても、粋でいなせな神輿振りでございますよ、

若衆頭から声が飛ぶ

「さあ、いよいよこれが最後だよ、思いの丈を込めていくぞ」

「ワッショイ!ワッショイ!」

もう汗が吹き飛ぶ神輿振りでございますよ。

さてもう一箇所行かなければ・・・

須田町中部町会 元祖女神輿でございます、

知り合いに頼まれての写真を写さなければならないのですよ、

やっと探し出した時は、いよいよ最後の町内宮入り、

いやいや柔な男など蹴散らす勢いじゃありませんか、

さすが元祖女神輿でございますよ。

見事に差しきったところで木が入りました、

もうみんな満足顔が並びます。

さて、この次は二年後、果たして神輿の後をついていけるかどうか、

元気でいましょうね、お互いに・・・