旅の途中

七夕の宵

「今夜は予定を組まないで下さいね」

朝、出がけに鬼姫様からそう釘をさされた、

そして、小さなメモ用紙を渡されたのです、

其処には時刻と店の名が見慣れた字で記されてあった。

そうか、今日は誕生日だった、

一年の区切りにしている日でした、

今年も無事一年歩き続けることができたということですね。

急に思い出したら、あの暑い夏の日に逗子の駅で初めて出会ってから

丁度六十五年目の夏を迎えられたということですよ。

65年とは23、725余日ですよ、二人の間に膨大な時間が積み重なって

今日という日が迎えられたという事実の前で、

「感謝しなければバチがあたりそうですよ」

お互いに大病もせず、毎日元気に過ごせただけで、振り返っても

もう見えないくらい遠くまで来ていたんですね。

誕生日は母親に感謝する日と決めていたのですが、

その母と過ごした日々よりも鬼姫様と一緒の日々の方が何倍も

長くなっていたのですね。

父や母を見送って何時の間にか自分たちが先頭グループに

躍り出てもう20年目の夏です。

体力は衰えていくことは避けられない事実ですが、

気力だけは衰えさせないようにしていないと、

階段を踏み外す結末なんてことは避けたいですものね。

だからといって、明日も元気でいられる保障もないし、

結局、できることは今日という今を確実に過ごしていくことだけ

なのかもしれませんよ。

何の予定も無ければ、

前橋の七夕祭りへ行ってみようか とか

平塚もいいな、それとも深谷にするか、なんて行き先を探している

楽しみが気力を充実させると硬く信じているのですが、

それでは約束の時刻まで戻れないのですね、ならば

じっとしていればいいものを、例え2時間でも時間がとれれば

歩き出しているのが、元気ということですよ。

浅草はいいですね、あまり変化がありませんから安心して

歩ける町なんですよ、

親父が住んでいた(別宅にしていたんですがね)町浅草、

おふくろにとっては気に入らない町、

でもねその浅草の祭りが親父とおふくろをつなぎとめて

いたのですよ、

おふくろときたらアタシに輪をかけた祭り好きでしたからね、

この町を歩いていると、どこの路地を歩いても親父にも、

おふくろにも出会える気がするのです、

「七夕飾りがいいな、みんなが自分のことを祝ってくれて

いる気になれるもの」

この日に産んでくれたおふくろに感謝しなけりゃバチが

あたりそうですよ。

一時間ばかりで約束の場所へ、

此処は最近二人のお気に入りの店でしてね、すっかり馴染みになって

おりますのでゆったりとした時間の中で会話を楽しみながら美味しい食事

が食べられるのです。

すべて店主にお任せの料理が、ほどよい間合いを持って

出されてくる、

目の前にある料理は、その材料から味付け、下ごしらえにどれ程の

手間をかけているかはひとくち食べただけで、旨さが口の中に広がってくる。

料理に見合った、シャンパン、ワイン、酒が店主の的確なアドバイスで

運ばれてくる。

鬼姫様の口元が緩んでいる。

もう量はいらない、質を求めるなら、この店は残りの人生に楽しみを

与えてくれるでしょう。

七夕の宵に恋文をいただいた気分の人生の旅の途中のことでございます。

Categories: 日々

小暑の候 » « 「恐れ入谷の鬼子母神」

2 Comments

  1. 散人さま
     類い希な伴侶と積み重ねられたながいながい日々
    まだまだその素敵な旅の途中を歩まれておられるお姿に、私も勇気と元気をいただけます。
    佳き日にこの世に送り出してくださいました御母上に感謝されるお気持ちがまたステキです
    お誕生日おめでとうございます

    • 旅人 散人

      2016年7月9日 — 12:08 AM

      まい様
      昨夜は あの源氏物語にも登場する乞巧奠(きこうでん)の
      座飾りを眺めながらの祝い膳に幸せな時間を過ごしておりました。
      五色の布を吊るし、九皿の供物(梨・棗・桃・大角豆(ささげ)・
      大豆・熟瓜・茄子・薄鮑・干鯛)を盛り付け、酒を各机に
      一坏ずつ、西北の机に香炉、蓮の花十房、縒り合わせた五色の糸を
      金銀の針各七本に通して楸(ひさぎ)の葉一枚に挿したもの、
      たぶんこちらは織女に捧げるのでしょう、そして針だけを除いた
      同じ供物を牽牛のために捧げるのです。
      手前には芸事が上達するようにと秋の調子に調弦した筝と琵琶が
      置かれておりました。
      水の張られた水鉢には梶の葉が浮かんでおり、天の川を渡る舟の
      無事を祈る舵を表しているのだとか。
      平安時代から7月7日に行われていた雅な座飾りでありました。
      梶(かじ)の葉は舟の舵を表していたんですね。
      乞巧奠は奈良時代に中国から伝わったらしいのですが、すっかり
      日本の文化になっているようでした。
      鬼姫様は時々、雅なことを企てるのです、還暦も古希も驚かされる
      祝いをしてくれるのです、永い月日がなければ叶わぬことばかり
      でございます。
      感謝しないと バチがあたりそうですね。

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