新たな年明けを告げる歳時記になってきた

『ふるさと祭り東京』、

日本各地の祭りとお国自慢の味が同時に楽しめるというので

毎年多くの人々がここ東京ドームに集まってまいります。

考えて見れば、東京ほど日本中から人が集まっている街は

ないわけで、それぞれのふるさとを想う人々にとっては

郷愁を誘われるイベントなのかもしれんません。

「食べていかねーかい」

山形訛り丸出しの声の主は、まだ若い丸顔のお姉さん、

「こりゃ美味いよ」

気がつけばおすすめの大豆の袋をてにしておりましたよ。

北は北海道から南は沖縄まで日本中の味と伝統の品々が

手当たり次第に手に入るのですから、

まるで、一日中旅をしている気分ですね。

何しろ会場がドーム球場ですから、出店を冷やかしているうちに

へとへとに疲れてしまいましてね、

そこは球場、疲れれば観客席がお休み処にはや代わり、

お腹が空けば、北海道のカニから富山の白海老、揚げたてのソースカツ丼、

寿司に焼肉、ビール、ワインはもとより甘党にはスイーツまでもう

よりどりみどりでありますよ。

観客席で休んでいると、お祭り広場で 沖縄エイサーが始まった。

いつだったか深川祭りの時に、目の前で エイサーを見ていらい

どうやらあの踊りに、リズムに、太鼓の音に虜になっていたんです。

あの日から エイサーについて調べておりましたら、

どうやら、あの地を踏む力強い踊り、太鼓を打ち鳴らす様は

念仏踊りの姿が浮き上がってまいりましてね、

念仏踊りというのは、死者の供養のために踊られるもので、

その念仏踊りの分布はほとんど全国に及んでいるのです。

念仏を唱えながら踊るのは空也に始まりそれを受け継いだのは

一遍でした。

踊りながら念仏を唱えていると極楽へ行かれるというのですから

その伝播はあっというまに広がったというのです。

それを広めたのは遊行僧たちで、旅から旅を続けながら

全国を廻っていったその結果が、各地に独特の踊り方を

作り出していったのでしょうね。

共通しているのは、念仏踊りは鉦と太鼓がほとんどで、

花笠を被って踊っていたといいます。

なにやら、阿波踊りや佐渡おけさなどが浮かんできますね、

沖縄までは遊行僧たちは行っていなかったのではないか

と調べると、

慶長8年(1603年)、陸奥国の浄土宗の学僧袋中が明の国に

渡ろうとして失敗、琉球(沖縄)に漂着、その琉球王尚寧王の

帰依を得て浄土宗を布教、沖縄では王家や貴族の間を中心として

念仏が広まったというのです。

昔は托鉢や芸事を行なう

「念仏にゃー」(にんぶちゃー)をお盆に招いて先祖の供養を

行なう風習が、首里の屋敷町などで存在していたといいます。

やがて念仏の詠唱を村の若人が代行する形で庶民の間にエイサーが

普及していったとか。

沖縄エイサーにはやはり念仏踊りの影が色濃く残されていたのです。

若者達のエイサーはまるで戦場へ赴く兵士のようにも感じられる、

死者の魂を鼓舞する行為は、時には外に向かってほとばしるエネルギーを

導き出すのかもしれない。

沖縄でも400年の歴史をきざんでいるエイサー

人間の持つ生きるためのエネルギーを今も湧き出させる踊りに

思わず引き込まれてしまった祭りの宵です。