さてと、このまま大原まで行って外房線で東京へ

とその時、止まった駅が「国吉駅」、

何度か訪ねている町国吉でつい途中下車してしまいました。

夷隅の里の中心地をもう一度歩いてみましょうかね。

(国吉神社)

二百年ほど前、波の伊八と呼ばれた武志伊八郎信由という

彫物師が房総の地に数々の作品を残しておりましてね、

その伊八の作品を求めて安房鴨川、岬町、鋸南町などを巡り

夷隅の行元寺であの波の欄間に出会ったのです。

勿論、伊八の作品の息を呑むような出来栄えに感動したことは

無論のことでしたが、伊八に渾身の作品を作らせた夷隅という

土地についても、もっと知りたいという好奇心がふつふつと

湧き上がってしまったのです。

国吉駅で列車を降りたのは夷隅の里への長年の疑問に対する好奇心

が一気に蘇ったのかもしれませんね。

まだ寒気が漂う夕暮れ、夷隅の町を歩き出す。

たしかこの先に、神社があったはず、神社の歴史を足がかりにこの夷隅の地

がどんな歴史を持っていたかがわかるかもしれない というのがいつもの

アタシの旅のやり方なんです。

その神社は国吉神社、しかし、夕暮れ前の境内には人の姿はなく、社務所も

すでに閉まっておりましてね。

まずは本殿に手を合わせ、神社の御由緒の書かれたしおりを見ると、

夷隅の起源は古事記や日本書紀の世界にまで遡り、夷隅川流域には

伊甚(伊自牟)国造が統治していたらしい。

国吉神社の御祭神は 健御名方命 とある、

はてなぜこの夷隅の地に出雲の神が祀られているのだろう・・・、

その続きを読むと、伊甚(伊自牟)国造の祖は

建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)、

古事記では建比良鳥命は天穂日命(アメノホヒノミコト)の

御子であるという。

アメノホヒノミコトといえば、日頃より各地の祭りを訪ねる中、

奉納江戸里神楽の中に登場する男神でありますが、

その天穂日命の子は大国主命の娘と結ばれ出雲国造の祖

でもあるのです。

国造の天穂日命、祖建比良鳥命を祖に持つ伊甚(伊自牟)国造が

この納めていた夷隅の地に大国主命の御子神 健御名方命 を

祀ったという由緒はなるほどとうなづけることでありますよ。

(国吉駅)

伊甚(伊自牟)国造の生きた時代は、はるか大昔のことですが、その後、

この国吉神社には

大山咋命、天之御中主命、伊邪那岐命、伊邪那美命、建速須佐之男命

など二十八柱の神が祀られているという。

その境内に隣接して出雲大社が鎮座している、

時代は遥かに下って明治の御世、氏子達によって 健御名方命の親神である

大国主命を祀ったことはなんの不思議もなかったということでしょう。

夷隅とは伊自牟(イジミ)の変化したものかどうかはわかりませんが、

はるか神話の世界にいたる歴史を秘めていた土地であったということ

なのでしょね。

薄闇のなか、どうやら二千年の時空の旅をしていたようです、

あわてて、国吉の駅へ戻ると、大原行きの列車は出発したばかり、

まあ、急ぐ旅ではない、誰も居ない駅舎の中で、次の列車を待つ

時間のなんと心豊かなことでしょうか、

悠久の刻を感じながら、のんびりと東京へむかう房総半島横断の旅、

まだ冬は始まったばかりですよ。