今年の3月2日は、やっぱりこの町を訪ねてしまいました。

「和の風」をそよと吹かせたこの町の雛祭り、いつのまにか

15年目を迎えています。

暦の上では「立春」とはいえ、寒さの厳しい2月4日から

3月3日の上巳の節句までの一ケ月間、この町を雛の町に

変えてしまったのは、何気ない一言でしたね。

「子供達にきちっと伝えられて、町の人が喜んでやれること

 って何だべか」

「こんな寒い日に訪ねてくれる人を温かくもてなすにはどうすりゃいいだ」

多分、そんな語り合いが何度も繰り返され、

「とにかくやってみなきゃわかんねーべ」

そんな会話を耳にしても、何が起きるか皆目見等がつきませんでした。

百年も開けたことの無かった蔵の中から、埃を被った雛人形が眩しそうに

平成の世に顔を出しても気づく人はほとんどおりませんでしたね、

たまたまこの町を訪ねた人に、ある老人がその雛人形の謂れや物語を

語ってくれたのです。

それもお茶やお菓子まで出して、ゆったりと流れる時間の中で・・・

聞いた人は、驚くと同時に真心を込めて語ってくれる一人の老人の

人をもてなす心に 感激してしまったのです。

人は感動したこころを誰かに伝えたくなるものです、

その人の口コミを信じたもう一人の人が、不便で寒い中を、

この町を訪ねたのです。

雛の表情と老人の語りがこれほど人の心を打つとは・・・

そしてあれから五年が過ぎ七年が経ちました、

人が集う町には、予想も出来なかったことが次から次へと

現れることを町の人は体験や経験から知ることになりました、

しかし、本当に大切なことは形のあることではなく、

形に見えないことだということも知りえたに違いありません。

そこから生まれるのは、想像力に裏打ちされた創意工夫、

それこそが町が生きているという証(あかし)なのですね。

あれは、もう恒例になった「宵雛」の十年目の夕暮のことでした、

宵雛は五所駒瀧神社の参拝から始めるのです。

「つい今しがた、ふくろうが啼いてましたよ」

そんな神官さんのもてなしの言葉が心に響きます。

神様に捧げる古代米、桜を炊き込んだ桜飯、

何時ものように椿の葉に盛っていただきました、

何と言う米の甘さでしょうか、

裏方で雛祭りを支えてくださった皆さんの笑顔が

月明かりの中でキラリ!

神官様にお礼の挨拶の後、町へ戻ります。

神武遥拝所に見事な灯りとそっと置かれた雛人形、

これはSさんの仕業だとすぐに気づきました、

この灯りこそが、真壁宵雛の象徴なのですね。

山から下りてきた闇は、町を呑みこみ静まり返った通りに

ポツンと照らす灯りを際立たせています。

足音に混じって囁くような笑い声、

「あれ、いいんでないの」

雛祭りの期間中、黒子に徹してきた町の方々がそっと

その明かりに足を止める。

どの店にも人はいない、店主の点した感謝の想いが

光の中で輝いている。

観光客のためではなく、この町に共に生きる人々の

想いのこもった灯りだからこそその想いが伝わるのでしょう。

「幸せってこういうことなのかもしれないですね」

と鬼姫様がつぶやく。

そして十五年目の宵雛祭り、

でもここに流れているのは、その遥か昔から営々と

伝え続けられてきた人としての誇りに満ちた生き方であり、

人を思いやる心を失わない強い意志、

それをさりげない仕草に包み込んで、当たり前のように

伝えるという、まるで神業のような心根に人は涙ぐむほどの

感動を受けるのでしょうね。

行灯の揺れる灯りに引き込まれるようにお訪ねした御宅の奥から

「どうぞ、おあがりください」

目の前に並んでいたのは着物に身を包んだ可憐な人形、

古布で本仕立てされた衣装は愛に満ち溢れているのです、

15年と言う年月は、最初の年に生まれた児はすでに中学生に、

高校生だった娘さんはすでに母になり、まだ若いと胸を張っていた

若い母親は婆になる年月なのですね。

古い町並みに、古い雛人形という組み合わせだけではない、

精魂込めて自ら作り上げるその繊細な技も、またこの町の

大切な宝物なのですね。

多分、今宵はこの町の何処かで、小さな宴が密やかに

行われているでしょう。

いつもの宴の末席で、裏方でやり遂げたみなさんの

笑顔に囲まれておりました。

「永いと思っていた雛祭りも、過ぎてしまうとあっという間ね」

どなたの表情にも安堵と、やり遂げた充実感が漂っておりました。

明日は子供達と雛流しです。

「今夜で終わりではないので・・・」

そういうとそっと席を立っていった大人たちの背中に

町の誇りが輝いておりました。

権現山の上に弥生の満月・・・

お目にかかった全ての方々、そしてお雛様にこころからの感謝を。

真壁宵雛にて