都会にいたら絶対にめぐり合えない祭りにどっぷりと

浸かっています。

まだアタシが子供だった頃、この国は食べるものも乏しく、

もちろん、欲しいものが何でも手に入る時代ではなかった、

そんな貧しかった時代でも、大人たちは祭りを欠かすことが

なかったのです。

子供等は祭りの中に身を置くことで、世の中にこんな楽しいことが

あるということを身をもって感じられたのです。

祭りには露店が軒を並べ、お化け屋敷に、サーカス小屋、

中には見世物小屋の筵でできた幕がちらっと上がると

みんな目の色を変えて覗き込む、

すると幕の紐を下ろしてしまうおじさんが

「後は中へ入ってのお楽しみだ、さあ、入った!入った!」

なけなしの小銭を握り締めて、綿アメにしようか、それとも

水アメにしようか、何しろ甘いものに飢えていた時代ですから

迷いに迷っているところへ、このおやじさんの呼び込みが

グサリと刺さるわけで、気がつくとその見世物小屋のなかでしたね。

「オオイタチ」に、「口裂けおんな」、中には「蛇を食うおんな」

なんて聞いただけで身の毛もよだつおそろしさ、

今、思い出してもあの恐ろしさは忘れませんよ、

ネタがばれればそれまでですが、そこは口上が恐ろしさを演出するわけで、

夜、便所にいかれないほどの怖さを味わったものでしたよ。

何も無かった時代だからこそ、創意、工夫が知恵を搾り出し、

怖さまでも祭りの楽しみに変えていたんですよ。

さて、昔話はそのくらいにして、

次に訪ねたのは 橋門祇園祭、

八坂神社の境内には、小屋掛けこそありませんが、

提灯に囲まれた立派な舞台が設えてあり、

演芸大会が開催されるとのこと。

半纏を羽織った役員さんに尋ねると、

神輿は前日に若衆たちにより、スサノウノミコトの

和御魂と荒御魂を表す二基の神輿が町内を渡御したのだと、

お仮屋に鎮座された神輿を見せていただいた。

荒御魂の素朴な造りの神輿には、氏子の皆さんの熱意が未だ湯気を上げて

いそうでしたね。

「ここの祭りは暗くなってからの演芸が楽しみなんだよ」

そういえば、境内に提灯に囲まれた舞台がありましたよ。

夜までに腹ごしらえを済ませて、戻ると

境内に敷き詰められたブルーシートが客席です。

てっきり演歌が流れるかと想っていたら、

美しい声のポップな歌声、

どうやら、出演者は茨城出身の歌手が登場するらしい、

舞台では若い女性の歌声、

「うーん、これが現代というものかな」

かすみがうら市安食出身の オニツカサリー さん

地元出身の司会者が

「私も本日歌手としてデヴューいたします」

と突然唄い出す、

「♪いばらぎのあしたは晴れる・・・」

とかいう、震災後のこころを唄った、

なんだか、ジーンとしてきましたよ。

祭りは、神輿を揉むのも祭りなら、こうして歌をみんなで楽しむのも祭り

なんですよ。

神社の境内にいつまでも灯りが点っていた祭り旅の途中です。