(これは平成24年亀戸天神社350年祭の模様です)

「なんだ、また祭りか」

旅の途中をご覧の皆様からそんな声が聞こえてきそうなほど

毎日、毎日祭り行脚を続けておりましてね。

「祭りなんてどこも同じだろう、神輿担いで大騒ぎしてさ」

そうお思いでしょうが、これが全く違って、ひとつとして同じ祭りは

ありませんでね、

確かにこの猛暑のなか神輿担いだからって一銭の儲けもございませんよ、

それより、みんなでお金集めて、何の儲けにもならないことを

爺ちゃんから、息子、孫にいたるまでみんな一緒にできることって

祭り以外にありますかね、えっ!あったら教えて欲しいもんだ!

なんだ、開き直ってどうしようってんですかね、

どうも、日本人はなまじ世界第二位だか三位の経済大国なんて

おだてられ、持ちつけないお金なんか持たされたもんだから、

お金さえあれば何でもできるなんて想っちまってね、

「金ダ!金ダ!金さえあれば幸せが掴めるぞ!」

どうでした、その挙句が今のニッポンになっちまったじゃないですかね、

アタシ等ガキの頃は、貧乏が当たり前でね、

お金がないと人間っていうヤツは何をすると想いますか、

生きていかなきゃならないから、知恵が湧き出てくるんですよ、

知恵が出てくると、その知恵を幸せな気分になれるように使い出すんですな、

お金がなくてもできることって何だ??

近所の人が困ってたら、さりげなく手を貸す、

日本人ってのは、そもそも押し付けがましいことが嫌いでね、

人にモノを渡すのだって、さりげなく

「つまらないものだけど食べてみて」

なんて自分をへりくだることで、相手に負担をかけさせないようにするんですよ、

何の話でしたかね、そうそう祭りでしたね、

お金儲けって悪いことじゃありませんよ、だけどね、金儲けだけ ってことになると

人相まで変わっちまうんですよ、お金ってヤツは溜め込むだけでは何の価値も

ありませんでね、いくらタンスに入れといたってそれはただの紙ぺら、

一万円札は使った時に一万円の価値が生まれるわけで、

使うと無くなっちまうなんて考えてばかりいるとロクな老後はきませんよ、

江戸っ子は宵超しのカネは持たねぇ って啖呵切ってるでしょ、

あれは家に溜めといたって、ひとたび火事だ、水害だ、山が火を吹いた

ってなれば、逃げるに精一杯、その時に力になってくれるのは近所の他人様しか

居りませんでしょ。

もうお判りでしょ、その近所のみなさんと顔なじみになって、力を合わせると

こんな素晴らしいことができるのだ、と思わせてくれるのが

「お祭り」というわけなんですよ。

お祭りは損得抜きだものネ、

なま唾を撒き散らしながらしゃべり過ぎてしまいました、

本日は 天神様をお迎えしてのお祭りでございますよ。

それも 御鎮座三百五十年 大祭 と聴いちゃおちおち寝てるわけには

まいりませんでね。

朝の六時起きして飛んできたというわけなんですが、

こちらの本社神輿の宮出しの朝の早いったらありゃしないですよ、

すでに、宮元町会の皆さん総出で町内渡御が終わる寸前に何とか

間に合ったというわけ、それでも朝陽に輝く神輿の上の鳳凰の姿を

拝むことができましたよ、アリガタヤ、ありがたや、

亀戸天神社の氏子町内はえらく広いもので、次の町内へは、神輿を

車に載せて巡行でございます。

その神様のお乗りになられる神輿をみんなで見送りすると、

ひとまず宮元町内は宮入りまで休憩、それぞれ自宅に戻って英気を養う

のでありますよ。朝早くからご苦労様でございます。

さて、神様のお出かけになられた後の境内はいかばかりかと

大鳥居を潜り、太鼓橋を渡ってやってきてみれど、人の気配はまるでなし、

考えてみれば、神様はこの暑い中、出張中でございますものね、

ガランとした境内で手を合わせ、空を見上げればあのスカイツリーが

御柱のごとくにそそり立っていた祭り旅の途中でございました。

今日も暑くなりそうだ・・・

ここまでは四年前の神輿巡行を記したものですが、あの時は朝の宮出しを

拝ませていただいたのでしてね、

当然、宮出しされた神輿は再び神社へと戻られるわけですよ、

四年越しの宮入りをこの目に焼き付けようとやってまいりました亀戸天神社、

最後の神輿受け渡し場所は てんじんばし の橋の真中と決められておりますので

そのてんじんばし際で待つこと1時間半、

集まってきた人々の関心事は、神輿が今どのあたりまで戻られたかに

集中するわけでございますよ。

そりゃ携帯電話やスマフォで検索すればすぐにわかりますよ、

でもね、昔気質の爺ちゃんや婆ちゃんはそんなこたぁしないのです、

「神輿はどのあたりですかね?」

「太鼓の音が聞こえているからもう間もなくかもしれないやね」

そこへ自転車に乗って戻ってきた半纏姿のオヤジさん

「今、錦糸町の駅前で揉んでるから、そうさネ あと一時間というくらいかな」

するとその情報が、口から口へと漣のように伝わるのでありますよ、

「錦糸町の駅前だって・・・」

そして、それぞれ、その一時間を待ちわびるのでありますな。

祭りがなぜ楽しいかというとね、はっきりしないことをじっと待つことに

あるのですよ。

なんでも事前に判っちまったら誰が一時間もじっとその場で待つもんですか。

(宮元町内へ神輿が受け渡しされた)

祭りの昔話をしてくれる爺ちゃんが、目を輝かせて、

「此処の宮神輿は個人の人が奉納してくれたんだ太っ腹の人がいるもんだろ」

「この橋の上で宮元町会に受け渡されると、一気に境内まで運ばれるから

 見落とすなよ」

「受け渡しを見たらナ、その先を曲がって裏道を走るんだ、そして東門の前で

 もう一度お迎えするってぇのがオレの流儀さ」

そこへ、大太鼓を先頭に神輿がやってまいりました。

浅草や鳥越の荒れる神輿を見てきた目には、粛々とした神輿渡御で

ございますな。

この町の氏子のみなさんの気質が現れるのでしょうね。

受け取る側の宮元町会の面々には事前に通達が行われていたんです。

「前の町内の神輿の手打ちが終わるまで絶対に飛び出さないこと」

「最後まで、しっかり気持ちを切らさないこと」

「さあ、行くよ!」

柝頭の一本締めで最後の神輿が上がった、

「おーっ!揃ってるね」

「どうだい、俺達の神輿ぶりは、ほれぼれするだろ」

周りを埋めている観衆だってみんな一緒に担いでいるんですよ。

先ほど教えていただいた裏道を走り抜けて東門前で再び神輿を迎えます、

鳶の頭の木遣りが流れる中、神輿が最後の盛り上がりを見せて

境内へと運ばれ三本締めで無事宮入りが終わりました。

荒れる宮入りを期待した皆さんには少し物足りないかもしれませんが

こうして最後まできちんと様式美を貫き通した宮元町会に

心から拍手を送っておりましたよ。

次はまた四年後、

果たして、今日のようにアタシは走ることができるのか、

祭りは人生をも考えさせてくれるものかな・・・