アタシ等下町育ちには、「祭り」というのは神様をお迎えして

神輿を担いだり、町中を練り歩いたり、山車を引っ張ったりと

大抵は神社がその大元にあることを「祭り」と呼んでおりますが、

厳密に言うと、祭礼とか大祭というのでしょう、でも子供のころから

祭礼も「祭り」と呼んでいるんですよね、

仮名で書くと まつり、いや待ってくださいよ、神様のための まつりは

丁寧に おまつり と言っていたような気がいたしますね。

子供こころにも、お をつけて おまつり と区別していたのかも

しれませんですよ。

それからね、「まつり」というと、

お盆の施餓鬼や盆踊りのようにご先祖様を迎えて

にぎやかに踊ったりするのもやっぱり まつり なんですね。

提灯下げて、太鼓や笛の音が響いたりして、あの露店だって

沢山出るわけで、子供にとってはどちらも まつり には違いない

のですよ。

物事をはっきりと区別しないやり方というのが、もしかしてこの国の

昔からの仕来りだったのかもしれませんよね。

この国は、四季がはっきりとしているでしょ、

春になれば桜が咲くと、それ 桜まつり だと飲めや唄えの大はしゃぎ、

藤の花が咲いたといっては 藤まつり、躑躅まつりにあやめまつり、

まつり ほど楽しいものはないと子供の頃から植え付けられて育つのですから

そりゃ、まつり好きが次から次と現れても不思議はありませんでしょ。

さて、下町はもうどこも農作業なんてやらなくなりました、

五穀豊穣を願うよりも昔は、病院も薬もあまりありませんから、疫病や流行病が

起きないように神様にお願いするしか方法がありませんでね、

この流行病なんてのは夏に多いわけで、そのために、下町は夏祭りが盛んに

なったのでしょうね。

最初は、疫病や流行病を防いでいただくというお願いも、そのうち

祭りそのものが楽しいことだとみんなが感じ出すと、その祭りに観客が

集まってくるじゃないですか、そりゃ自分達だけで静かに祭りを行うのも

いいですが、観客からヤンヤの喝采を受ければ、そりゃ、祭り人達だって

もっと綺麗に、もっと派手になっていくのは人間の真理じゃありませんかね、

そうなんです、祭りの最初は、

「せっかく花が咲いたから、みんなで楽しく踊ろうじゃないか」

なんていう、小さなキッカケから始まるものだったのでしょう、

さてと、下町は葛飾堀切は江戸の昔から 花菖蒲の盛んに咲かせることが

当たり前だった土地でしてね、川と河に挟まれた湿地帯に、この花菖蒲や

あやめがぴったりと当てはまったのでしょうね、このせまい土地に、

あやめ園や菖蒲園がいくつも出来たといいますよ。

でもそれは、江戸から明治の頃までで、そのうち宅地が広がると、菖蒲園は

次々に宅地の転売されて、とうとう一箇所だけになってしまいましてね。

一箇所になると、みんなが大切に思うわけで、何とか残し続けようという

機運が盛り上がるのは、ほら鉄道が廃線と決まると急に惜しむ機運が高まるのと

同じことですよ。

この唯一残った堀切菖蒲園の花菖蒲を大事にしようじゃないかと、

菖蒲まつり が始まるのは偶然ではありませんでね、

普段なら買い物客がパラパラと歩くくらいの駅前道路を閉鎖して、

始まりましたよ 阿波踊りが、

この阿波踊りは元気が売り物、菖蒲まつりに花が咲く というわけで

今年も、大勢の踊り連を取り囲むように見物客が手拍子と

ニコニコ笑顔でございます。

おまつり も まつりも区別なんかつきませんよ、

日本人は宗教を度返しして まつり を楽しむことができる

稀有な国民かもしれませんですよ。

アタシもレッキとしたまつり狂いの一員であることに最近では

誇りを感じております。

さあ!踊ろうよ!

「エライヤッチャ、エライヤッチャ、ヨイヨイ ヨイヨイ!!」

(2016年水無月に記す)