人間が考え出した信仰というのは、時には厳しい修行を

課してくるものですが、

そんな厳しい修行のなかに、

雨の為に外出できない季節には僧が一か所にこもって

修行や教律の研究をさせる方法あるのです、

夏安居(げあんご)という名の下に

何の疑いも無く続けられるこの方法はやはり人間が考え出した

知恵の具体的なかたちなのでしょう。

そんな夏安居を感じられるのは今では斑鳩の法隆寺まで

行かなければ感じることはできないでしょう。

しかし、房総の山中にかつて1000人もの若い修行僧が集まって

学びあった場所があったのです、それが中村檀林なのです。

「もしかしたら間に合うかもしれないな」

東京のど真ん中で仕事が一段落すると時計を見て

一瞬ためらったがやはり行ってみようと車を走らせた。

夏の夕暮れは暗くなるのが遅い、

もしかしたら明るい内に着けるかもしれないという想いと、

まだあの参道に整然と植えられた紫陽花に間に合うかもしれない

という両方の想いが叶えられると踏んだのでありますよ。

しとしとと降る雨の中、暗くなる前に参道に立つことができた。

もう盛りは過ぎていたがそれでも暗くなりかけた杉の林の下で

紫陽花はしっとりと雨に濡れた姿を見せてくれておりましたよ。

かつて若い修行僧が東と西の学坊に分かれて勉学に励んだ中村檀林、

ある時は日蓮宗の教義はもちろん、社会問題まで論争を繰り広げ、

その論戦を土地の役人、村人達が見学に押し寄せたという。

そんな喧騒も今は昔のこと、

人の気配の全く感じられなくなった参道を傘を片手に歩く。

山門横の墓地には、修行の半ばで命を絶った若き修行僧の墓が並んでいる。

誰が添えたのか一輪の紫陽花が雨に濡れそぼっていた。

話し声が近づいてきた。

賑わいの消えた参道を、行き場を失った現代の若者には

どのように感じるのだろうか。

まさか「紫陽花キレイね」で立ち去ってしまうのだろうか・・・

それでも来ないよりはまだ益しだということか・・・

気軽な時代だという言葉で片付けてはいけない気がするのは

若い修行僧の墓を参った後だからなのだろうか、

時代がどんなに変わろうとも人間の生き様は何も変わらない、

便利で、合理的で、手っ取り早いこととは全く相容れない

生き方が此処には確かにあったことを感じて帰って欲しい

とその二人の若者にそっと呟いてみた・・・