空を見上げると、何の疑いも湧かないほどの秋空です。

天候が人のこころの在り様に影響することは確かです、

だって、この空を眺めているだけでこころが爽やかに

なるじゃないですか。

お天気に誘われてついふらふらと歩きたくなるんですね、

もちろん、当てもなく町を歩くのもそれはそれで楽しい

のですが、こんなに晴々とする日は、なんだか祈りたく

なるんです、

日本人は、神も仏も何でも一緒くたにする国民なんて想われて

おりますが、ちょっと待ってくださいよ、

どこの町へ出かけたって、神社はあるし、お寺さんはあるんです、

ひょいと、御参りすれば、なんだか心がすっきり出来るんですね、

一神教を信じている方には理解できないかもしれませんが、

もっと判りやすく言えば、神社やお寺でなくても、

日の出の太陽に向かってだって祈ることが出来るし、

天高く聳えた樹にだって祈ることができるのです。

日本人は、本来 祈りの民 なんです、

人の祈る姿ほど美しく感じることはそうはありませんですよ、

細かく見ていると、礼と拝をきちんと分けているんです、

私がお祭りに出かけるのは、この礼と拝の違いを宮司さんが

きちんと其の祈る姿で教えていただけるからなんです。

二礼二拍一礼とか、二拝二拍一拝は神社の祈り方じゃないの

といわれるんですか、

日本人は祈る時は、神社もお寺も区別しないのです、

要するに、心の中で祈りを唱えて、その祈る姿に表すのが 礼であり拝なんです、

別に アーメンと十字を切らなくても、きっと神様は心の中まで

観ていてくれると思うことが出来るのが日本人なのかもしれませんですよ。

手と手を合わせるのは、何の敵意はありませんという姿を現しているんですね、

こぶしも作らないし、武器も持たないという姿が 祈る姿なんですよ。

目の前で、ご老人の祈る姿を見せていただいていると、こちらまで

清々しい気分になれるではないですか。

今は一大観光地になってしまった柴又帝釈天、

でもね、夕暮れが近づくと、観光地から普段の顔に戻り始めるのです、

そんな時間を待っていたように、近所の方々が祈るために山門をくぐって

くるのです、

アタシはこの時間が一番大好きでしてね、

生活の中に祈りが何の疑いも無く溶け込んでいるからなんです、

「ころっと行かしてください」

なんてお願いしているのかどうかは外からわかりません、

歳をとると、若い人には理解できない考え方が浮かんでくるものなんですよ、

それじゃ長生きしたいか というと、

苦しまないで ころり といけたらそれが一番なんだと、

その婆さまは真剣な顔で呟くのです。

さてと、旅の無事をお礼申し上げて、参道を戻ると、

いつの間にか観光客は姿を消し、そろそろ店じまいの時間です、

勤め帰りの人々がそろそろ戻ってまいります、

この街にも普通の生活がきちんとあるのですから・・・

葛飾柴又帝釈天にて