(亀戸天神 紅梅)

浮世絵師の歌川広重晩年の作品に「名所江戸百景」がある、

何気ない江戸の風景が夫々の地名の中に残されている。

百景といっても全118景のなかに、江戸の中心地だけではなく

当時は江戸の郊外であった土地が多く含まれておりましてね、

中でも城東地域の亀戸あたりは、言わずと知れた 亀戸天神境内、

吾嬬の森連理の梓、柳しま、そして 亀戸梅屋舗などが含まれて

いるのです。

江戸の昔、梅で賑わっていたのは、亀戸天神から北へ歩いた

北十間川あたりの農家があるような鄙びた場所で、その農家に

臥龍梅と呼ばれた奇木がありましてね、龍が地面に臥すような形で

四方に枝をのばした姿が評判を呼んでいたといいます。

本所で商っていた呉服商の伊勢屋彦右衛門は風雅を好んでこの

地に別荘を建てその梅を楽しんでいたといいます。

その臥龍梅を育てた伊勢屋の子孫は梅を増やして茶屋を作りやがて

亀戸梅屋敷と呼ばれ、江戸市民の憩いの場所になっていったのですね。

その亀戸梅屋敷をさらに名を高めたのが、広重の描いた 亀戸梅屋敷

という訳だったんです。

その浮世絵はやがて海外にまで渡り、あのゴッホにまで影響を与えた

というのですから、亀戸も国際的な地名となったのですよ。

しかし、この亀戸辺りは、アタシが学生時代でもゼロメートル地帯なんて

呼ばれて、雨が続くとあたり一面水浸しになるほど水はけの悪い土地でも

あったのですね。

(小村井香梅園)

その亀戸梅屋敷からさらに北へしばらく歩くとやはり梅の名所で名を馳せた

小村井の香梅園があったのですが、あの明治43年の大水害で香梅園も

亀戸梅屋敷も全滅してしまったのです。

小村井の香梅園は現代に再度復活してまいりましたが、亀戸梅屋敷のほうは

未だ浮世絵のなかに名を留めるだけなのは残念なことですね。

さてと、東京の梅はそろそろ見頃を迎えたようです、

先週の大雪で枝をもがれた天神様の梅のその後が気になって夕方訪ねてみました、

ああ、やっぱり折れた梅は全て片付けられており、もうその悲しげな姿は

見当たりませんでした。

無事残された梅の木は、それぞれに美しい花を咲かせておりますよ、

そういえば、桜は満開と表現しますが、梅は満開とはいいませんね、

なんと言うのでしょうか、

「うーん、ちょうど見頃だ!」

とでもいいますかね。

前回、まだ蕾だった花も、どうやら開き始めたようです、

軟らかい彩りの呉服枝垂れ、可憐な鈴鹿の関、未開紅、東雲も

咲きましたよ。

青軸冬至の愁いを含む花、そして大好きな 月影 も今が見頃です。

どれほど眺めていたのでしょうか、いつの間にか辺りは夕暮れ、

かつては風雅を愛する人々で賑わったという亀戸の町をそぞろ歩き、

はて、今は亀戸の名物は うーん、亀戸餃子にホルモン焼きか・・・

仕事帰りのお父さんたちが連れ立って暖簾掻き分け店の中に

吸い込まれていく、

昔も今も、亀戸は庶民の町でございますよ、

さてと、冷えた身体を何で温めるかな・・・