宮沢賢治は「雨ニモマケズ 」の最後を

『ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ クニモサレズ

サウイフモノニ ワタシハナリタイ 』

と結んでいる。

サムサノナツハオロオロアルキとは やませ(山背)のことだろうと

頭では理解できても、それがどんな現象なのかは都会に住む者には

実感できないのです。

初夏の訪れとともに東北地方から北関東の太平洋沿岸では

海上で発生した海霧がまるで塊のように次から次へと

陸に向かって押し寄せてくる、

農業人も漁業人も『やませが来た!』と恐れるのです。

『やませ』は夏季にオホーツク海気団から吹く北東風は

冷涼・湿潤な風であり、海上を進む間に雲や霧を発生させ、

太平洋側の陸上に到達すると日照時間の減少や気温の低下の

影響を及ぼすのです。

米が産業の中心であった江戸時代では やませは凶作を引き起こし

飢餓を発生させ、米価の上昇は打ちこわし騒動など社会の混乱を

引き起こしたのは歴史が語っている事実なのです。

宮沢賢治がオロオロ歩いたのもこの やませ だったのです。

最近では1993年の冷夏による米騒動は記憶に新しいことです。

時間が止まってしまったようなのんびりとした列車に揺られてやってきた

湊のある駅で降りると、町はすっぽりと霧に包まれておりましてね、

「この霧はどこから湧いてくるんですか」

まるで生き物のように道の向こうから這い上がってくる霧の不気味さに

思わずそう尋ねると、船乗りだというそのオヤジさんは

「海からやってくるのさ、やませだよ」

漁も休まなければならないと、呟いた。

この町に来るまで、夏日の暑さに汗を拭いていたのに、この寒さは

信じられないほどでした。

気温17度、漁港にやってくると、係留された漁船がまるで幻のように

浮かんでいた、目の前の海は白い冷気の中に消えてしまっているのです。

「これが やませ の正体なのか・・・」

どのくらい其処に佇んでいたのでしょうか、気が付くと髪の毛も、洋服も

ぐっしょりと濡れてしまい、身体は冷え切ってしまっていた。

海を見に来た漁師は、

「当分駄目だな!」

と呟いた。

「そんなに長く続くんですか?」

「ああ、明日も駄目だな」

自然の営みの前では、人間は全く無力であることを

知っている者の呟きに返す言葉もないのです。

冷えた身体を温める場所はないかと尋ねると、

「天然温泉があるよ」

と教えてくれた。

露天風呂は海を一望に見渡せる高台にあった。

塩分の強い温泉に浸かりながら、次から次へと押し寄せる

霧の塊に風土が人の心を強靭にすることを押しえらっれていた

旅の途中です。

こんな軟弱(温泉)な旅人に自然はどんなしっぺ返しを

用意してるのだろうか、

明日は神様に手を合わせに行こう・・・