『花橘も匂ふなり 軒のあやめも薫るなり

 夕暮れさまの五月雨に 山郭公名告りして』

これは新古今集にある慈円の和歌、いや七五、七五の

繰り返しですから今様と呼ばれたものかもしれませんが、

皐月の頃の浮き立つ気持ちがよく表れておりますな、

古人たちも初夏を迎えると見るもの、聞くもの、香るもの

すべてに新鮮な気持ちを持っていたのでしょうね。

江戸時代の俳人、山口素堂の俳句に

 目には青葉 山ほととぎす 初鰹

があります、もうどなたも御存じの俳句ですが、

日本人が旬(はしり)をいかに大切にしていたかをよく

表していますね、

旬というととかく食べ物ばかりに目がいってしまうものですが、

目には青葉が、耳には時鳥が、匂いには花橘が、

初鰹を喜ぶように大切にされてきたのが日本人の感性なんですね。

江戸時代、まだ流通が未熟だった頃、旬の食べ物などは

手に入れるために何をも犠牲にしてまでも執着したといいます。

江戸に運ばれる初鰹は小田原沖や鎌倉辺りのモノが珍重された

といいます、早舟に載せられた初鰹は江戸の将軍へ真っ先に

運ばれたのです。

江戸の庶民だって、その初鰹のおこぼれくらいは望んだでしょうね、

しかし、初鰹の相場は、まな板に小判が乗っているようなもの 

と言われるほど高価だったのです。

現代でも、旬の初物には、例えば大間のマグロに数百万の値が

ついたり、初物の野菜や果物に途方もない高値で取引されるのは

単なるご祝儀相場ではどうしても理解できないのです。

もう少し待っていれば、流通が豊富になって値も下がることが

判っているのにどうして争うように求めるのでしょうか、

そんなことを感じている時、ハタッ と気が付いたのです、

日本人は祭りを欠かさない国民ですよ、その祭りの中の神事に

必ずあるのが神饌、神に捧げる食べ物は新鮮な初物を捧げる

のです。

その神饌は祭りの終わるとともに直会で祭り人が皆で神と同じものを

食することで神の加護を受けるということが行われてきたのです。

旬のものは、すなわち神の宿るものという信仰が残されていたのでは

なおでしかね、それでなければ、最初に口にする初物に経済原則を

無視してまで手に入れようとする意味が判りませんですよ。

しかし、この旬の食べ物は農業技術の向上、流通の発達で

意味が無くなり始めていませんかね、

いつでも、お金さえ払えば手に入ることが当たり前になってきた時、

人は ありがたさや、モッタイナイという意識が消えてしまうとしたら

なんだか本末転倒になりはしませんかね、

日本は四季のある国、四季それぞれに旬のものがあるはずです、

夏に冬にしかないモノを欲しがることは我慢を放棄した欲望むき出しの

動物ではないですかね。

時期を待つことで、旬をもう一度見直してみるというのは、

案外こころの充実を得られることかもしれませんですよ。