東京で仕事を済ませてから出かける桜旅は

どうしても桜に行き着くと夕暮れ時になってしまうのです。

「あの桜はどうだろうか・・・」

そんな想いを抱きながら訪ねる桜・さくら・サクラ、

もう何度も訪ねているのに其の都度全く異なる姿を

見せてくれる桜・さくら・サクラ、

同じ桜も天候が異なれば、咲き方も違う、

咲き始めもあれば、散り際もある、

「桜は満開だけがいいわけではない」

と吉田兼好翁の言葉を噛み締めたりしながら、

桜を見上げる日々の楽しさは何ものにも変えがたい

至福の刻なのです。

出かけてから見つめる桜の咲き具合は、

そう、ちょうどおみくじを引いた時のようなもなんです、

満開を迎えられれば 

「おお、今年は 大吉を引いたようですな」

とひとり悦に入る、

桜は生き物、その出会いは 小吉もあれば、凶もあるわけで、

その変化を味わうことも桜旅の醍醐味なんですよ。

すべてが 満開大吉 だなんて、人生と同じで

「そんなことはあるわきゃないよ」

と独り言の桜旅が今年も続いております。

もう何度目かになる歓喜院の江戸彼岸桜、

「今年はどうやら 大吉を引いたようですな」

境内の真中で辺りを睥睨するように咲く桜は

江戸の昔の猿島の地を見守ってきたのです、

猿島の地はアタシのご先祖様が生きた土地、

自分も老境になってみると、この桜にひときわ想いが

深くなるのです。

四百年の人の世を見続けてきた時を刻む桜なのですから。

夕暮れ前の今日の最後の光が一瞬だけその桜を紅色に

染め上げると、あたりは薄闇が覆い始める、

刻々と変わる彩りが薄闇に溶けていく、

そうだったのか、四百年の時を刻んでいただけではなく、

今日と言う日を小刻みに語っていたんですよ。

そっと耳を傾けながら、誰も居なくなった桜を見上げている。

半欠けの月が昇っていく、

月と一緒に見つめていた歓喜の桜です。