明治22年(1889年)、堀江、猫実、当代島の三村が合併して

「浦安村」が誕生した、当時の戸数1.040戸、人口5946人。

漁師の集落であった漁浦の安泰を祈願するという意味を込めて

「浦安」と名づけられたという。

しかし、海に直結した村は、大津波、大火に幾度となく襲われ、

神への祈りは欠かせない土地でもあったのです。

堀江には海を司る大海津神を祀る清龍神社が、

猫実には五穀を司る豊受大神を祀る豊受神社が、

そして当代島には商売繁昌を司る豊受大神の稲荷神社が

それぞれの地域の安泰を守っていたのです。

町村制の施行というお上からの要請があったとしても、

ひとつの村に合併されたからといって、祭りが同じになることは

中々できないことだったのは、祭りとは法律の埒外にあったことを

如実に表しているということなのでしょう。

浦安の祭りは、この三箇所の神社が同じ日に祭礼を行うということで

話し合いがついたのでしょが、祭りはどうやらそれぞれの神社を

中心に行われることになったのです。

今年は四年に一度の浦安三社例大祭です、

各氏子町内は一ヶ月も前から大通りから路地にいたるまで

祭り提灯が飾られ、どの地域も待ちに待った祭りに物凄い

盛り上がりを見せ初めています。

四年という歳月は、若者でもいろいろな変化が現れる月日なのです、

まして年寄りにとっては次は見られないかもしれないという想いを

強くさせるのかもしれません、

「待ちに待ってたよ・・・」

老人達は祭り衣装に腕を通して集まってくる。

堀江の清流神社の宵宮に参加させていただいてから四年が過ぎて

いたのですね。、

その四年の月日を噛み締めるように各町内の神輿が続々と神社に向けて

担ぎ出されてまいります。

神社の祭礼の前日を「宵宮」といって、祭りの中で一番重要な神事が行われる

のです、

昔から祭りは夕方から始まるものという決まりごとが氏子全員に浸透して

いたのです。

(氏子町内神輿が神社に向かって動き始めます)

本来は、水垢離をして身を清め、清い装束に着替えて夕方を待って神社に集まり

夕御餞を添えて神の降臨を仰ぐということが祭りの本意だったのです。

なにしろ相手は神さまですから最上の礼を持って、感謝と尊崇の念を捧げると

いうことは、誰に教わるでもなく、祭りに参加する者は自然に身につけて

いったのでしょう、

氏子であれば、その祭礼に参加することは当たり前のこと、参加しないことは

神に対して無礼であると誰もがそう考え行動したというところに、祭りの持つ

本意があるのです。

最近は祭りというと昼間の賑々しい神輿担ぎばかりに注目が注がれてしまいがち

ですが、あれは宵宮での神様との大切な儀式を終えた後の祝賀会のようなもの

なのでして、この宵宮を行わない祭りが増えてしまう風潮は、心していないと

ただのイベントになりかねないのです。

さて、浦安の三社祭りはこの宵宮を今でもきちんと祭りの中心に据えているのです。

四年前は、堀江の清流神社の宵宮に参加させていただきました、本来であれば

氏子でなく、物忌みもしない余所者は神に近づくことは許されないのですが、

前日、茅の輪を潜り水垢離までは冷たいので、湯で身の穢れを落としてやって

まいりました浦安の町、もう何処を歩いても祭り一色でございます。

友人宅を挨拶に回り、今年は豊受神社の宵宮に参加させていただこうと

宵の来るのを待ちわびます。

各町内の神輿もすっかり衣装を調え、今や遅しと待ちわびる時間のなんと

楽しいのでしょうか。

合図の一本締めで神輿が町内を出発、目指すは各氏神様の元、

最初から入れ込む町内あれば、静かに神輿を担ぎ出す町内あり、

内に秘めた夫々の想いを載せて神輿が行く。

さしもの広い境内に続々と集まってくる神輿と祭り人たちで

もう足の踏み場もありません、

境内には今年新たに奉納された「豊受大神」の大幡が掲げられ

これなら豊受大神様も迷われることはありませんですよ。

前回の清流神社では、神輿一基につき五人の

制約があり、更に女人は境内の外へという決まりがありましたが、

どうやら豊受大神は女神さまだけあって、その制約はないようです、

もう人いきれで眩暈がしそうです。

祭り囃子がピタリと止むと、いよいよ「御魂入れ」の神事、

境内の灯りが一斉に消されると、辺りを闇が覆いつくす、

三人の神官が御幣を持ち、「ウォーーー」と低く永いあの神の声を発する、

「御魂入れ」の終わった神輿の周りからは拍手と歓声が上がる。

境内に並んだ神輿は37基、かなりの闇の時間が続く、

その闇の中で此処に集まった全ての人々が、固唾を呑んで今か今かと

その瞬間を待ちわびる、これぞ祭りの本来の姿なのですね。

灯りが附いた瞬間、一斉に歓声があがった、祭りの始りです。

夫々の町内の神輿に神の御魂が入ったのです、

高らかに一本締めが鳴り響くと、次々に各町内に向けて神輿が境内を

後にしていく。

最後に残ったのが二基の宮神輿、

まずは西組の神輿が、凄まじい熱気の中で上がった、

もう誰も止められない神輿の周りであの掛け声が飛ぶ、

「マエダ!マエダ!マエダ!」

辺りの空気を震わせながら、神輿が舞う。

いよいよ、最後の東組宮神輿がその瞬間を待っている、

一本締めが鳴り響くと同時に、神輿が上がった、

男たちの身体と身体がぶつかり合い、唸りをあげて神輿が舞う、

ああ、何という厳かな瞬間でしょうか、

此処に立ち会えた喜びがホトバシッテいる、

さあ、三日間の祭りの始りです。

日本の祭りは、神様にできるだけ楽しんでいただき、少しでも

長くその楽しみが続くようにありとあらゆる手段を尽くすのですね。

神の乗られた神輿はゆさゆさと何度も揺すられる、これは担ぎ手が

勝手にやっているのではなく、神が揺らしているのだと、きっと

担ぎ手はそう信じているに違いありません。

やがて神輿はまるで炎の燃え上がるように夜の町を染めていく、

もう誰も止めることなどできやしない・・・

(浦安豊受神社 宵宮にて)

2016年6月の三社例大祭以来四年毎の祭礼は
コロナ禍により延期されて6年間止まったままでございます。